1997年03月15日

●押し毛

久々に図書館で本を借りたのだが、奇妙な現象に出くわしている。手に取ったとき、「やけに汚れた本だなー」と思ったほかは、とりたたて特徴はなかった。
通勤途上の電車の中で読み出して気づいたのだが、「何か挟まってんなー、何だろ、あれ、何も挟まってないや」という事を何度か繰り返した。その後、ふと、短い毛(丁度1週間程ヒゲを剃らなかったときに、毛抜きで引っこ抜いたくらいの)がページ番号のあたりで乾燥して「押し毛」となっているのを発見した。何気なく取り去り、「何だろ、床屋ででも読んだんかいな」と思ったが、よく観察すると、なんと、毎ページ毎ページ(ほとんど450ページ分全部)、ページ番号のあたり(本の下隅)に引っ付いているのだ、押し毛が。
いったい何なんだ。気色悪い。
ちなみにその本は杉並区の中央図書館で借りたもので、船戸与一という人の「蟹喰い猿フーガ」という本だ。
何かご存じの方、いらっしゃいましたら、メールください。(「いるわきゃねーよ」ってか?)

1998年08月10日

●眉の中の傷

未だ、カウンタが稼働しない。
夏休みも折り返し地点を迎え、「夏も終わりか・・・」と思う今日、1週間前に縫った右眉内の傷の抜糸も終え、布団も干し、ワイシャツのアイロンがけも終わり、「ホームページの更新でもするか」という具合であります。結局サードマシンを買わずに、GAとCPUを交換し、ウィンドウズ98に乗り換えただけで満足している状態です。
ちなみに、右眉内の傷は以下のような状況で作成しました。(以下、どこかから引用)

風邪を引いた生徒に代わり、サードを守っていました。相手はランナー3塁、サードランナーとバッターが目配せしたのを見て、「何かする気だな」と思いました。「たぶん、バント&ラン(スクイズ)だろう」と思い、味方の投球と共に、前へダッシュしたところ、目の前にボールが飛んできました。(その距離、約10m。ソフトボールの塁間は18.29m(野球のバッテリー間と同じ)で、通常ソフトボールのサード、ファーストはベースよりもバッター寄りで守備をする。塁間が近いため、バント処理をするために、やむを得ないのである。)メガネがはじけ飛び、「いってー」と思っていると、ショートにいた生徒が「血が出てますよ」と。ボールが当たった右目の上に手を当てると、確かに血が付いてきます。結局のところ、2cmほど、眉毛の中が切れてました。外れたレンズがぶち当たり、皮膚が裂けたのです。6針ほど縫いました。骨折は体験済みですし、後は、救急車に乗るくらいでしょう。

1999年01月12日

●未知との遭遇

それは1月5日朝の出来事でした。

年末に買った新しいオーディオシステム(以下「キカイ」)で、ゴンチチでも聴こうと再生したところ・・・「音が出ん」。そういえば、目覚まし代わりにセットしたはずのタイマーも作動した記憶がない(出勤日でなくて良かった)。「キカイ」は涼しい顔してトラック1の再生時間をカウントしております。
「???。」
確かに設置場所は変えたものの、ケーブルの接続には念には念を入れたはずなのに・・・。
昨日の晩はヘッドホンで聴けたのになーと思い、もう一度ヘッドホンを使おうと思い手に取る・・・
 
何と、ヘッドホンのプラグが単なる円筒になっているではありませんか!
先端がもげ、「キカイ」内部に残ってるんかい!!!
--覗いてみる--
見慣れない「楊枝の頭」的物体が御成遊ばしていらっしゃいました。うーむ、侮る無かれ「オー○ィオテクニカ」(まあ、元々ミニプラグのヘッドホンなのですが、実家に帰った際に、添付品の標準プラグへの変換アダプターを鹵獲し、初めて使ってみたのです)。引っ越し当初に買ったラジオペンチを持ち出してみるも、太り気味のため、届かず。マイナスドライバーを2本使って挟みだそうとするも、力足りず。
 
「しゃーない、学校へ行ってピンセットを取ってくるのもめんどくさいし、細身のラジオペンチを買いに行くかー。この先、パソコンでも自作するときに必要になるかも知れないし。それにうまく(?)いけば、「東京トホホ会」に投稿できるかも知れないしなー。(今思えば、パソコンネタではありませんが、そのときは結構本気で考えました)」
比較用にラジオペンチをジャンパーのポケットに忍ばせ買い物へ。(この辺は「トホホ」的ではない)105円ショップ「ダイソー」に行きました。ノーマルペンチは存在しました。毛抜きもあったのですが、ジャックに入れるには太りすぎのような気がしました。「大丸ピーコック」には、思いっきり同じ形のラジオペンチがありました。(たしか、手持ちのものは西友で買ったのです。)第一家電にはラジオペンチはあったものの、「激やせ」ではなく、手持ちペンチの8割程度の太さでした。また、2500円(ボリすぎ)だったので、2分ほど手持ちのペンチと見比べた後、買うのを止めました。「ここで購入し、そして使えなければ、間違いなく投稿できるな(文壇デビュー)」と思いましたが。青梅街道へ出て、自転車屋を探すも見あたらず、金物屋は営業しておらず、学校近くにオープンした「ラジコン屋」も思い浮かんだものの、営業しているか分からないため、足を運ぶ気にはなれず(歩くにも、帰宅してチャリンコに乗り換えるにも大変)。文房具屋や居酒屋を覗き(半分がたフィクション)、とりあえず、毛抜きでもゲットしようかなーと「ダイソー」へ向かったところ、「ピンセット(先が曲がっているタイプ)」が陳列されていたのです。
「安物っぽくて、力が加えられそうにないなー」と思いましたが、「まあ、100円だからいいか」と。
 
結果からいうと、何とか引っこ抜けました、「楊枝的物体」。
コツはなるべくピンセットの先端近くを持ち、加えた力がピンセットの弾性変形に使われないようにすることでしょう。まあ、今世紀中(あと700日強)にそんな事態(楊枝的物体)に遭遇するヒトは、世界で18人くらいだとは思いますが。

1999年01月31日

●夢の不思議

今朝見た、--正確には今朝起きる間際に見ていた--夢はかなり妙な夢だった。

青梅線のとある駅から程近い宴会場だった。その会場(自宅の2階)を提供してくれたのは、大学の後輩として親しくなった松坂大輔クンだった。大学時代の同窓会を久々に開くことになり、20畳ほどの会場には、だんだんと人が集まりつつあった。
(中略)
「なんだか最近、よく見るんだよねー、大学時代の夢。(笑)」
「それも、4年のときの夢で、「この授業を落としたら、卒業できない」ていうパン教の授業が行われる朝、気が付けば8時過ぎ、どう頑張っても遅刻は免れない状況でさー、なおかつ学校へ行くための荷物がまとまらないし、どうしよう・・・・って。」
(中略)
これが新しい「ウメッシュ」かー(ごくごくごく・・・、こんなもの一気したら酔っぱらうなー)。

と、ここで目が覚めた。
「青梅線のとある駅」のルックスは「新小金井街道と中央線の立体交差上の駅」という感じだった、今思えば。駅名は未だ分からない。夢のなかで夢について語っているのも笑うが、他の同級生が「よお、久しぶり!」という友達に、私は「この前会ったばかりだな。(笑)」と会話を交わしたのも不思議だ。その友達とは、夢の世界ではちょっと(夢の世界で1ヶ月)前に再会していたのだ。実際の世界では、この数年間会っても喋ってもいないのだが。
最後に飲んだ「ウメッシュ」は、レギュラー缶とロング缶の中間の容器に入った、従来品の2倍の度数をもつ新製品だった。一気飲みした後に目が覚めた。

1999年06月01日

●めんばーずかーど考

ここのところ、ちょっと気がかりなコトがある。それは、「メンバーズカード」に関わる問題である。厳密に言うと、「お買いあげ毎にスタンプを押印します。ウン十個でウン百円のお買い物ができます。」という類のカードのことである。

日曜日、白衣と冬物のスーツをクリーニングに出した。通い付けのクリーニング屋発行の「5月31日まで有効」の2割引チケットを使用していないことに気づいたからだ。そして無事2割引で白衣・スーツをクリーニングに出した。それらは本日仕上がりだったのだが、私はそのことを忘れてしまった。恐らく明日回収することだろう。
今日行こうが、明日行こうが、どちらの場合でも問題になるのだが、そのクリーニング店には私にとって苦渋の選択を迫ってくる店なのだ。なぜなら、「仕上がり当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、カードにスタンプを押印します。」というシステムの店であるからだ。
数ヶ月前までは、「当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、チケットをお渡しします。」というシステムだった。チケットを何枚か集めれば、金券として使えるというものだ。これは楽だった。きちんと引き取りに行けば、勝手に向こうがチケットを押しつけてくる。そして勝手にチケットは貯まっていく。

しかし現在は前述のシステム(スタンプ制)になっているのだ。未だに私はポケットにメンバーズカードを忍ばせたまま、店員さんの「カードはお持ちですか?」の声を待ち続けている、その店で。

1999年09月16日

●ゴキブリの学習とその末路

こないだのことなのですが、ゴキブリの学習能力についての話題です。

夜中というか朝方にトイレに起きて電灯をつけたところゴキブリに遭遇。その日の私は割と穏やかなココロだったので、「それで隠れているつもりかい、丸見えだよ」と見逃しました。

その日、お勤めから帰って電灯をつけたところ、またもや遭遇。見逃してやりました。

更にその後、電灯をつけたら、ゴキブリがいました。全然動じていません。隠れる素振りも見せず、放置された使用済み麦茶パックを囓っていました。
さすがに「おまえはそれでもゴキブリか?」と思い、そのゴキブリを潰しました、優れた遺伝子を残してやるためにも。以上。

「マジカル頭脳パワー(なんちゅうネーミングだ!)」って、9年間もやってたのですね。歳もとるわけだよ。

1999年12月23日

●オゾンを浴び、湯を浴びた日

この日記は学校で書いている。
今日は祝日で休業日なのだが、コンピューターの置かれた部屋の中で、高校1年の指導要録の印刷(パソコンによる打ち出し)の監視をしつつ、化学実験のレポートを添削していたのだった。かなり部屋の中はオゾン臭いはずなのだが、分からなくなっている。
とりあえず、調査書の原稿書きも終わったし、レポートの添削も終わったし、婆さんの喪中のハガキも出してあるし、年を越せそうな気がしてきた。
現在、打ち出しは1年8組の途中である。
こういった書類の作成は、異様にプリンタを占拠してしまうし、人がいない時間に行うことが多い、今日みたいな。かれこれ5時間弱印刷機が動いている。かなり電力を消費しているのであろう。新しい校舎になり、生徒用のパソコン40台と、最新型のレーザープリンタ(4台:ゲロッ速)があるので、そちらの部屋で指導要録を印刷するという手もあったのだが、プリンタが変わると、Accessの設定を微妙に変える必要があるかも知れず、込んでいるこの部屋(現在プリンタは1つだけ)を見た昨日、「明日(つまりは今日)、印刷しよー」となったのだ。
あと、2人くらいで8組の分も終了しそうである。9組の分は印刷の司令だけ出して、帰宅してしまおうかとも思ったが、とりあえず、クリーニングに出しっぱなしのスーツを取ってくることにしよう。
そして印刷は終わり、涼しい?アパートへ執筆場所は移動した。
先ほど、久々に風呂に入った。さすがに体が普段よりポカポカする。学年の忘年クリスマス会のプレゼント交換でゲットした入浴剤を使ったのだ。普段はシャワーしか使わないのだが、せっかく頂いた入浴剤なので使用してみた。
湯に入ってしばらくすると、浮遊物が現れはじめた。「さすが外国製の入浴剤だ」と思った。が、よく考えるとそれは風呂にこびりついた水垢がはがれて浮いてきただけなのだった。

2000年11月26日

●塩化水素吸引事件

パンクしたチャリンコを愛情込めて治し、長らく行けなかった床屋へ行き、職場の組合の忘年会の会場を予約し、買おうと思っていたズボン(パンツ?)を買い、行ったことがなかった荻窪のバッティングセンターに行ったりした。なんて書いていても、もろに日記でつまらないので、『塩化水素吸引事件』について書こう。

前記の『卒業論文』を読んでいただければ分かるのだが、30本前後のペットボトルを収集し、それを洗浄する必要があった。どれだけがんばっても1人で1.5リットルの清涼飲料を30本は消費できないので、家族や(コーラ中毒の)親戚に手伝ってもらい、何とか容器は収集した。そして洗浄の際、その事件は起こったのであった。

塩酸(HCl水溶液)を薄めて、容器の洗浄に用いたのだが、その際ホールピペットを用いた。チナミに余談であるが、「ホール」は「whole」なのですよ、知ってました?私は数年前まで知りませんでした。「hole」つまり「穴あきピペット」だと思ってたのです。「全容ピペット」という表現を何処かで眼にして、辞書を調べて知った記憶があります。まあ、「駒込ピペット」の由来も今ひとつ不明なまま放ってあるのですけど。(駒込ピペットは駒込病院で開発されたそうです。:後日記す)
で、余談は終わるのですが、まあ大体予想はつくでしょう、それなりに理科実験をしたことのあるヒトならば。

高校時代からホールピペットに慣れ親しんでいた私は私の技を過信していました。「ホールピペット」は口で吸うのが“通”だと思いこんでおり、その日も吸ったのです、濃塩酸の原液を。
塩酸は塩化水素の溶液でありますので、吸った瞬間、「ん"っ」となりました。もし硫酸だったらそれほど問題なかったのでしょう、不揮発性だし。

口の中に気体のHClが満ちたのが分かりました。詳しく言うと、歯の裏側がクワクワなったという感じでしょうか。「これを気管や鼻に送ったらまずいっ!!! と言っても、ピペット中の液を容器のガラス瓶に逆流させてもまずい! 取りあえず、この1回は我慢だっ!!」と、口腔付近の筋肉、具体的には舌の奥と軟口蓋を使い、横隔膜や胸郭を作動させずに、取りあえずそれなりの量の濃塩酸を確保しました。一息ついた後、口をゆすぎまくりました。

それ以前に「スーパーレモンキャンディー」一袋を食べきり、気がつけば歯が溶けていたことがあったのですが、それ以上に歯が短時間で溶けたと感じました。まあかなり馬鹿でないと体験できないでしょう、どちらも。

チナミにその後安全ピペッターの操作も熟達しました、濃塩酸を扱う際に。

2000年12月07日

●皮膚癌発病疑惑(1)

ヤツらは突如出現した、手のひら全面を覆うかの如く。その直径数ミリの黒い斑点に気づいたのは、初夏のある日の事だった。 

皮膚の「ホクロ」はメラニンが集まっている領域であり、気にする必要はない。しかし、手のひら、足のひらにはメラニンはできない。もし、そこにホクロができたら、そしてそれが成長し始めたら、注意しなければいけない。何故なら、それは癌かも知れないから。

そう、ヤツらは癌かも知れない。ガンかも知れない、ガンかもしれない、ガンかもシレない、ガンカモシレナイ・・・

2000年12月12日

●皮膚癌発病疑惑(2)

「俺は癌を発病したのか?噂に聞いていた『自然館地下の放射能』に犯されたのだろうか?でも、地学科の教授で癌になったヒトって聞いたこと無いなぁ。やっぱり長年の飲酒がまずかったのかなぁ。タバコは吸わないのだがなぁ。」などと悶々?と過ごした日々の後、異変が現れた。
出っ張ってきていたホクロを引っ掻いたところ、その黒い斑点の最も大きなモノが剥がれ落ちたのだった。折しも、そのころ巷ではラルフローレンのボタンダウンシャツが流行っていた(私は今も昔も持っていない)。

剥がれ落ちるとかけて、ラルフローレンととく。そのココロは

「ポロっ」

2000年12月17日

●皮膚癌発病疑惑(完結)

結局のトコロ、1週間にわたって鉄乳鉢(というモノがあるんです)で岩石を砕き続けていたところ、その微細な破片が皮膚にめり込んでいたようなのであります。私のカラダは「何じゃこりゃ?こんなモノいらん!即排出ナリ!」と、適当な部署?(皮膚における何らかのユニット)毎に其の破片をまとめていたらしいのですな。その黒いもの(鉱物の集合体)を見て、私は「癌?」と思ったわけであります。
癌ではないことに気づいたとき、生命は偉大だ(良くできている)と改めて思ったスヨ。

2000年12月18日

●パソコン破壊未遂

私もコンピューターに詳しくなったなぁと思います。

一応『パソコン破壊未遂』なんて題名を付けてみたものの、実際には微妙に破壊していたと思うのであります。ウィンドウズではないものの、パソコンの電源をバチバチ切っていたので。

パソコンの終了って簡単じゃないですか、特に昔のパソコンは。今のパソコンはソフトウェアスイッチになっているので、数秒間押していないと電源が切れない。しかし昔のキカイは電源ボタンがへっこんでれば「ON」、へっこんでないときは「OFF」とマコトに簡単だった。
卒論作成当時、NECのPC98(もしかしたら互換機だったかも知れない)とその上で動くMSDOSをインターフェイスに用いた「原子吸光分析器」を使っていたのです。で、測定が終わったら平気で電源切ってました。測定されるデータが気に入らないときも、原子吸光のキカイのモーター(!)が動作中に容赦なくバツッと。
で、ある時それを教官に目撃されたのですね。「な、な、な、何なんだ君は!?」って感じで。かなり穏やかな化学のセンセイが、やたらと興奮しているのを見て、「あれ?何かまずいのかな?」と思った私だったとさ。

そして今があるのですね。合掌。

2001年02月17日

●アニメと広告

立て続けに日記を書く。日記なのだから当たり前かも知れないが。
「アニメ」と「広告」の話題について記そう。私の記憶ではそれは2、3年前からの現象なのだ。

その発端は

医薬品(水虫の治療薬など)のテレビCMにおいて、そのCGアニメを見る限りでは、薬がすべての白癬菌の細胞膜を破壊してくれるような表現がなされているが、それは過当広告に当たるのではないか?

という新聞か何かの記事だったように記憶している。

だんだんにその思想はテレビ業界・広告業界に浸透していったようである。あたかも白癬菌のようにじわじわと。テレビCMを「その気になって」見ていれば気づくというようなレベルではあるけれども、それ以来白癬菌は「全滅せず」ニキビ跡は完全には「消えず」虫歯菌は「一掃されず」という状況、すなわち『3“ず”』となったのだ。
ほのかに笑えるではありませんか。以上、そんだけ。

2001年03月12日

●家賃滞納につき?

今朝、ガスが出なかった。「おなら」ではなく「都市(13A)」のほう。
家賃を払い忘れていたからかと最初は思ったが、東京ガスに電話したところ「そういう操作はしていない」とのことだった。まあ当たり前である、東京ガスには契約通りの支払いをしているし。
結局のところ「メーターの電池が切れた」とのことだった。ホントかどうかは分からないけどね。家賃の滞納(昨日「フドーサンヤ」から電話で知らされた)という契約違反をした以上、これからはその不動産屋(杉山商事@阿佐ヶ谷)に強い態度で臨めなくなってしまったのがチョット残念。今日は奮発?して2ヶ月分振り込んでおいた。滞納したという事実は変わらないけど、謝意の表出として。

2001年09月24日

●さようなら麻混のスーツ

いつかその日が来るであろうコトは予想していた。そしてその日は来た。それは昨日のこと・・・

お勤め先の学園祭の2日目の朝、オガワマサキ(30)は前日から考えていたとおり、麻の交じった生地でできたスーツを手に取った。スーツを着る回数が年々減り、入学式や卒業式、保護者会や学校説明会など、学外の人に接するときくらいしか袖を通さない昨今であった。完全に秋の気配であるここ数日、買ってからほとんど袖を通していない3ボタンスーツ。今シーズンは今日以降着る機会が無いであろうと、埃よけにかけてあったクリーニング屋のポリ袋を破ろうとしたとき、厭なものを眼にした。
カブトムシの幼虫の20分の1模型のような小さな虫と、その抜け殻らしきものがスーツの左胸のあたりに存在していたのだ。

簡単に言うと、「虫に食われた」のであります。今までは運良く、大した害を被ったことは無かったのですが、見事に侵蝕されていました。麻混のウールってのはおいしいのでしょうかね?同じ虫は紺のダッフルコートにも居たのですが、そいつは非常に厚手だったせいもあるでしょうが、被害を受けた形跡はありません。その薄手のスーツのパンツは面白いくらいに穴があいていました。ジーンズも、裾がすり切れているのは許せるのですが、ひざの抜けたジーンズは一生涯履くつもりはない私ですので、その直径数ミリの穴がポツポツ空いたパンツ、速攻処分しました。
救いだったのは、その日は感動するくらいに空が青かったことです。その前日も風が強かったから、空気中の塵が一掃されていたのでしょう。まあ、スーツを失った悲しみが私に空の青さを再認識させただけなのかも知れませんが、文化祭の天候としては申し分のない空でした。明日は体育祭であります。空の下で行う方が健康的というか、馴染みが深い気がするのですが、校庭が狭い関係上、東京体育館で行われるのですな。「暑さ寒さも彼岸まで」ってのは「病は気から」くらいに印象深いことわざ?であります。そんな秋。

2001年11月08日

●ヘドジェクトX

「あほネタ」が身上<しんじょう>であるこの日記なので、披露しておきましょう。

部屋を数週間ぶりに掃除していたある日、謎の白き物体に遭遇した。フローリングの床を水拭きしていたときのコトであった(田口某風<たぐちなにがしふう>)。
長さ2mm直径1mm内外の円柱が其処彼処<そこかしこ>に存在していたのだ。
「なんじゃ、こりゃ?イモムシの糞<ふん>に似ているなぁ。」と思った小川だった。この第一印象がこの物語の行方を決定していたことに気づいたのは、その数ヶ月後のことであった。

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

2001年11月12日

●ヘドジェクトX 続き

「♪ハゼの中のメバルー、フナの中の金魚ょー」

その物体は部屋の隅に多かった。そりゃそうだ。ゴミも埃も部屋の隅にたまる、掃除を怠っていりゃぁ。
調査を続けていたある日のこと、部屋の隅に中途半端にたたまれた状態で佇む敷布団と、さらにその下敷きに使っていて同じく中途半端に丸めてある封筒型の寝袋の付近に、その「白き円柱」が存在しがちなコトに小川は気づいた。「糞の主は布団に棲んでいるのか?」
小川は指示を出した、「徹底的な調査をせよ」と。後にオガワ氏は語った。「最初の頃、ヒトは彼をバカにしました。『円柱形の糞をするような、そして布団に棲むような虫が存在するのか?大体、布団には穴があいていないじゃないか!』と。しかし、彼にはそれくらいしかできなかったのです。     いや・・・、正確に言うと、ただ思いつかなかっただけなのかも知れません・・・・・。」

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

注:何だか、登場人物が多くなっている気がするかも知れませんが、登場人物は私小川一人だったりします。

2001年11月21日

●ヘドジェクトX 続きの2

小川はとりあえず布団を干した、以前よりはまめに。しかし、気にすれば気にするほど円柱が眼に付くのだった。
「こうなれば『お国』のために死ぬしかない。」と小川は思わなかった。『プロジェクト某』ではないので。(打ち消し多すぎ)
しかし、謎の節足動物が棲むかも知れない布団の上に寝ているという思いこみは、小川を確実に蝕んでいった。
小川氏は宣う。「あの頃の彼の姿は正視に耐えませんでした。鏡を用いてその姿を確認するのが精々でした。スミマセン、小川さん・・・・・」

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

2001年11月29日

●ヘドジェクトX 続きの3

小川は気づいた。布団の上の寝袋の上と、その近くの床の上に円柱が存在していることを。
寝袋は化学繊維で作られているので、虫がつくはずがない。化学(有機高分子)と、生物(代謝の仕組み・進化の速度)の知識があれば、アッタリ前なのである。円柱を虫の糞と認識していたことが間違いの元凶だったのだ。やっぱり小川はバカだった。
その円柱の実体は何なのか?我々(誰?)は更に衝撃的な事実に遭遇する。

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

(BGM ハゼの中の・・・)次回のヘドジェクトエックスは「僕は死にましぇん、クニのためには~後編~」をお送りします。謎の円柱の正体とその奇跡的な成因について、小川氏は気づきました・・・・。
どうぞお楽しみに。

2001年12月10日

●ヘドジェクトX 最終回

「♪反吐かい?ゲロかい? わしは、まだ、飲み足ーりなーぃ」

大分連載に飽きてきたので、一気にカタをつけます。
信じられないかも知れませんが、その謎の円柱は自動洗濯機用合成洗剤の一部だったようです。具体的な商品名を挙げても良いのですが、新聞屋さんからの貰い物でもある手前、それだけは私の胸に納めておきましょう。
何なんでしょうか?数年前に貰った洗剤でもありますので、空気中の酸素とか二酸化炭素と反応して、予想外の物質が生じたのかも知れません。実は、最初から研磨剤?として混ぜられていたのかしら?笑っちゃうのは、綿ゴミ収集ネットの中にバッチリ集まっていたことです。当然のコトながら、水には溶けない。部屋に落ちていた「元糞」を濡れた手で潰そうと試みるも、相手は動じるところを見せず、指先に堂々と存在し続けました。

ふと思ったのですが、今日の日記は怪しい趣味を持った方が間違って訪れてしまいそうな単語が並びましたね。俗に「スカト○」って呼ばれる世界ですな。試験の採点も終わり(ほぼ予想通りのできぐあい)、調子に乗りすぎました。以後気をつけます。

2002年03月12日

●自意識過剰

阿佐ヶ谷の東急ストアにしろ、西友にしろ、大丸ピーコックにしろ、ミョーに買い物袋をくれると思っていたのです。「そんなにサービスしてくれなくても良いのに。そんなにサービスしたくなるほど、私は男前なのか?ふふ、儂も罪作りな男よ。」なんて。
今日、閉店間際の東急ストア(何故東急ストアを使う頻度が高いのかといえば、大学時代に大変に世話になったヨッパライの先輩が東急百貨店に勤めているからなのである)でこう聞かれた。「袋は二重にしますか?」と。
別に私が男前だからポリ袋を余計に貰えたのではなく、持ち運びの袋を二重にしたいという要望を持つ客が多かったから、それらのスーパーは袋を多めに配布していたらしいことを知った。そういえば、他の人が貰っているポリ袋も基本的に多めだったような気もする。
たまには多少笑える話を書かねばと思い、記してみた。

2002年05月16日

●型落ちの週刊誌

くだらなすぎるような、でもそれなりに笑えるようなハナシ、こんなページを訪れてくれるあなたに贈るッスよ。

午後7時過ぎ、普段よりは早めに職場を退出した。作りかけの試験問題と教科書・ノートその他を持って。
世の常・人の常でありましょうか?やらなければいけないコト(試験問題作成)をさておき、CD屋と書店を巡ったのでした。
買ってきたCD(3枚中の1枚)を再生しつつ、飲酒しつつ、買ってきた『週刊アスキー』を読んでいた。

最初のページから真面目に読み進み、「福田有宵先生の誕生月占い」にたどり着いた。
そのページには5/7→13と書いてあった。
???今日は5月16日???なのに。

何故に型落ちの週刊誌が書店に置いてあったのだろうか?
私の見る限り、『週刊アスキー』はこの1冊しか見あたらなかったノダ。

私が『週刊アスキー』を買う理由の1つは『カオスだもんね!』を読むためであったりする。その型落ちの雑誌が扱ってた「大谷石採掘跡地見学」、私の幼かりし頃の記憶を蘇らせてくれた。あの空間に気が向いたら行ってみようかと思わないことも無いが、多分行かないだろうね。ただ、小学生の私が夏休み恒例だった父方の親戚旅行で「大谷石採掘跡地」を訪れたときの印象は未だに私の中に残っている。「大谷石」ってのを卒論で扱ったのも、その時の強烈な印象が(実験材料である石の選定に)影響を及ぼしているのであろうと思います。

2002年08月14日

●ハネモノ

パチンコって、ハマる気持ちは分かります。近年、私はほっとんどやらないけど。
私が結構パチンコに傾倒したのは、大学を卒業して1年目か2年目あたりの頃、何しろ非常勤講師時代のコトである。
大学時代に同じクラスだった、3浪して大学に入ったという、料理人バイターでバイク野郎で、確かその当時も産休補助教員の「こにP」というヒト(現一児の父親)から誘われ、調布のパチンコ屋に行ったのでした。「小川ちゃーん、調布のパチンコ屋、出るんだよー。来なぃー」と。その時、私は始めて真面目にパチンコ台に向かったのでした。
結論から言うと、その日は8000円くらい突っ込んだ時点で当たり始め、最後は2箱くらい飲み込まれたものの、差し引き9万円くらい儲けさせていただきました。10箱以上出たわけですよね、結構大きな「ドル箱」の店だった。その当時における私の月給の半分以上を数時間で得たのでした。結局、その後数ヶ月パチンコ台に向かうものの、転落の一途。「多分9万円以上つぎ込んだな」と思った時(実際はもっとつぎ込んでいたと思います)、パチンコ・パチスロからは撤退しました。ま、勝ち続けるわけは無いですね。パチスロもビギナーズラックで当たったのでした、池袋での単独行動で。その時は大当たりしているのが分からなかったので、当たった分全部飲まれちゃったのでした。

で、何でそんなハナシかというと、spitzの新曲が『ハネモノ』って題名だからだったりする。パチンコ中毒後期、ハネモノに凝りましたね、江古田とか池袋とか、東長崎とかで。見ていて当たりが分かるから面白いのでした。今でも有るのでしょうかねぇ「ハネモノ」?

で、何でそんなハナシかというと、HMVってレコード屋(表現古すぎ?)有るじゃないスか、新宿南口に。その店に行ったんですよね、本日の講習の帰りに。欲しいCDは結構昔のものだったので、それくらいデカい店じゃないと置いてないと思ったから。
で、spitzの新曲『ハネモノ』のハズなんだけど、その店の曲紹介の印刷物、ぜーんぶ『ハネモネ』って書いてあったんですよね、そこかしこに。んー恥ずかしいでしょう、HMVの関係者のアナタ(そんなヒト、このページに来るんかい!)。アネモネって花は有るらしいけどね。

草野マサムネってヒトは「パチンコまにあ」なのかなぁ?以上、徒然なるままに記させて頂きました。

2002年11月28日

●最低最悪の日 -プロローグ-

そう、一昨日はこれから記すネタを書くつもりだったのでした。私の人生における、最低最悪の日について。

(おとといの)学校説明会、夜の7時から始まるのでした。私の勤め先、そんなにわかりにくい場所じゃない、ってか、相当分かりやすい場所にあるのですね。しかしながら、何だかんだ言って、初めて来ていただく方には案内も必要でしょう。私はJR阿佐ヶ谷駅近くの交差点(って程広い道じゃないけど)に道案内役として立っていたのです、18時から19時頃まで。
ただ道端に「突っ立って」いても、意味が無いですわな。同じ場所に朝方立っていて、道行く生徒が私の顔を知ってりゃ「登校指導の教師」と認識するでしょうけれど。
「サンドイッチマン」、雇用機会均等法的には「サンドイッチパーソン(googleでも3件しか引っかからなかった、なんか嬉しい)」?として、中央線の高架下に佇んでいたのですよ、小一時間程。

ヒトって、興味があるものはとりあえず見ますよね。聴覚・嗅覚・味覚・触覚よりも、まずは視覚でしょう。
私もそうです。気になるものがあると、知らないうちに凝視してたりする。
阿佐ヶ谷駅近くの「サンドイッチマン」、確かに私も見たこと無いわ、よく考えてみれば。そんなわけで突如現れた「オープンサンドイッチマン(背中側には看板をかけていないオガワマサキ)」、かーなり視線を感じましたね。私も暇だったんで、道行く人を観察してたし。チナミに、説明会自体は40組弱の方々が訪れてくださったようでした。間違えました、4万組でした。
私自身は十数組が私の前を通過したと認識していました。オツトメサキに来てくれそうなヒトは、何となく分かりましたね。で、面白かったのは道行く通行人とのデキゴトであります。
私と眼が合うと、ほぼ全てのヒトは目を逸らしましたね。ま、そうかもね。思えば「サンドイッチパーソン」ってうつむき加減の人が多いですわな。新宿でも、上野でも、池袋でも。晴れがましいのはボクシング等のリング上の「ラウンドパーソン(googleで0件!)」?くらいでしょうな。

目を逸らされながら思いました。「この感覚、懐かしいなぁ」って。
「最低の日」は一昨日ではありません。それは1990年の冬のコト、変に(いや、その場に於いては「当然のこと」として)目を逸らされてる私が存在したのです。

2002年12月03日

●最低最悪の日 第1回

武蔵小金井は「養老の瀧」、歩いて旅するサークル「伸歩会」の宴会が終わった。飲み足りない酔っぱらい数名は大学敷地内の部室へ戻ることを決めた。夜通しで飲む覚悟を決めたのだった。12月の寒い晩のことだった。
およそ30分後、部室に着いた。
部室には陶器の湯飲みがあった。酒も買ってあった。小川はバイクの運転を友人から教わっていた。湯飲みは埃を被っていた。部室近くには水道がなかった。
小川は湯飲みを水道で濯ぐために、バイクを借りて外出するのだった。無免許・酒酔いでの大学構内ツーリングなのだった。

以下次号。

2002年12月09日

●最低最悪の日 第2回

「やべ。」ガラスの割れる音、二灯式のヘッドライトも消える。「ゴメン、伊藤。」彼の新車はホンダAX-1だった。

酒酔い・無免許、加えて視力不全の私は転けていた。記憶では3速全開からフルブレーキ。シケイン(クランクカーブ?)を回避する為にハンドルを切りながら。そりゃ、転けますわな。

こんな文章記す暇あったら、試験問題作成しろという内なる声。

2002年12月10日

●最低最悪の日 -休憩-

中学2年生用の理科試験問題、残り30点分ほど作成する必要があるのだけれど、家に帰ってしまうと飲酒の道を突き進んでしまい、恐らくろくに試験問題が作成されないだろうから、職場に残って試験問題の作成を続けているのだった。緑茶をがぶ飲みしながら。
とか言いながら、こんな風に「日記作成」という逃避に走っている私なのだった。

およそ12年前のバイク破損。親に修理代を立て替えてもらったのでした。十数万かかったっけなぁ。伊藤(本名)がそのバイクに乗っている間、私は気が気では無かった、「あのバイクで彼が事故ったら、私に相当責任があるなぁ」って。幸いなことに、彼は事故る前にそのバイクを売っぱらった。ヤマハのserowに乗り換えたような記憶があります。

事故車って、圧倒的に扱いづらくなりますよね。私の実家には以前180SXなる日産の車があったのです。シルビアのクーペ版ね、知らないヒトはとことん知らないでしょうし、知ってるヒトは「ワンエイティ」については解説要りませんな、恐らく。ちなみに排気量1800cc版の古いタイプでした。古いタイプの方がフロントがかっこいいと思いますね、私的には。で、その180SXはもう既に実家には無いのですが、アクセルを床まで踏み込めば平気で180km/hに達しましたね。そしてリミッターがかかるのでした、ただし妹がその車で事故るまでは。

ある時(妹の事故後)に乗ってビビリましたね、140km/hくらいのスピードを出すのが怖いのです。ハンドル近辺が変な振動を起こすのでした。事故以前は高速道路上なら普通に140km/hで巡航できたはずだったのに。ってこれも法律違反ネタですね。ま、現在の私はあまりにも車に乗らないから「ゴールド免許」になってますし、時効ですね、時効。

目を逸らされた話はいつ頃出てくるのでしょうか?
試験問題の作成を再開しましょうかね。そんな19時17分。

2002年12月20日

●最低最悪の日 第3回

「PIXUS」ステキー、速くて綺麗。はっきり言って過去最高の賀状ですね、私が作成した中では。coming soon. 刮目し、待たれい!

で、目ぇ逸らされた話ですか。

私の記憶に次に現れるのは、右目の前にある地面ですね。ま、バイクでコケりゃ、地面に顔面を

2002年12月27日

●最低最悪の日 第4回

ぶっつけることもありましょう、転けたわけだし。
立とう!と思って両手を地面に当てた瞬間!

2003年01月03日

●最低最悪の日 最終回

「くるーん」地面が回った。

実は自分が回ったのだった。
転倒の際に紐がすり切れたスニーカーが吹っ飛ぶ。闇に弧を描きつつ跳び去るコンパースのローカット。

 <中略>

血まみれで始発電車に乗る私だった。目を逸らされながら思いました。「そりゃ、血まみれのヒトとは目を合わせたがらないだろうなぁ」って。

3ヶ月間、自分の足では走れませんでした。以上で「目ェ逸らされバナシ」終わります。

賀正

2003年01月08日

●最低最悪の日 後日談

あと6時間後には職場のガッコに居るのだろう、私は。

無免許・酒酔い・視力不全でバイク運転・転倒して、キチンと教員として生きていられる私みたいなヒトも結構珍しかろうな。そしてこれほどの文才。えっ、気のせい?
そのバイクの持ち主は今週末に結婚式を挙げるそうな、めでてー。
そんな彼も僕も、国立大生だったから大学の学費を税金で立て替えて貰ってたワケでもある。ま、全ての大学教授・高等学校教諭・中学校教諭・小学校教諭・幼稚園教諭・保育士・その他議員や公務員を始めとした公僕、現在の私が養ってやっているわけであるけどさ。持ちつ持たれつ?自己努力?
翻って大学時代、バブル期にあやかってバイトした金で飲んだくれていた頃は、そんなこと考えなかった、気づかなかった。自分の親からは「学費がかからないように、学校は公立に行ってくれ」って小さい頃から言われてたから従ったまでのハナシなのだったりして。自慢、いやらしすぎ?

職場の先輩であり、私立大学出身のセンセ(鈴木ヒロコ)に、この「バイク転倒話」を披露したとき「学費払ってあげてたんだから、ちゃんと勉強して欲しかったわ(プンプン)」って言われて気づきましたねぇ、この根深き問題。

2003年01月27日

●最低最悪の日 詳細

バイク転倒話、もう少し詳しく記しましょう。

はっきり言って、死んじゃってもおかしくない状況だったと思いますね。
転倒時、シャツ両胸のポケットには陶製の湯飲みが2つずつ入ってたのですが、転倒時に砕け散ったようでした。しかしながら、幸運なことにその破片、特にどこにも刺さったりした気配はありませんでしたね。で、転倒後しばらくぶっ倒れて天を仰いでいました。空を覆う松の木を眺めていたのは何秒間なのか、あるいは何分間だったのか、何を考えていたのか、何も考えていなかったのか…。今となっては分かりません。
で、夜空を見上げるのを止め、立ち上がろうとしました。が、うまく立てませんでした。右足に力がうまく入らないのですわ。膝を相当痛めてしまったみたい。

今だからこそ笑って記せ?ますけど、その時は相当動転していたわけです。足を引きずりながら、とりあえずその湯飲みの破片を回収しました「他の車がパンクしちゃいけない」って。謎な行動ですな。ま、現在でも私は「あやしい」らしいから、結局のトコロ「普通」の行動だったのかもしれない。意味不明。
で、次に吹っ飛んだ靴を回収しました。コンバースのオールスター、その紐がことごとくすり切れていました。とりあえず、それを足先につっかけましたね。履いていた黒のリーバイス501の右ひざは抜けており、そのウォッチポケットも剥がれ落ちかけていました。コーデュロイのシャツとその下に着ていた綿製ハイネックは肘の部分まですり切れていましたね。
出血部位はどれも擦過傷の様子でした、よく骨折しなかったものだ。これは部室に帰ってから確認したのですが、右目の横と右肘下2箇所、右手首、右膝2箇所から流血してましたね。さらに後から思ったのですが、膝の靱帯は何本かぶっちぎれたのでしょう。

で、借りたバイクを確認しました。エンジンはストップしていました。バイクを立たせ、またビビリましたね。前タイヤの方向とハンドルの方向が違っちゃってるんだもの。相当本気で転んだことに気づきましたね。1万円札に羽が生えて飛んでく姿を見たのはこの時が最初で最後であります、現在のところ。
くどいですけど「飲酒」してましたから、どの程度の転倒だったのか、そのトキはいまいち把握できていなかったのですな。鉄が歪むくらいの衝撃があったこと、その時にやっと気づいたのだった。
ギアが入ったままだとバイクを転がせないのでニュートラルに入れ直し、痛む足を引きずりながら学芸大構内でバイクを押して歩いたのですね。少なくとも30分くらいは時間が掛かったはずです。そう、あれは1990年12月。

「小川、遅せえなぁ」ってコトで私の探索に赴こうと、寝込んでしまった酔っぱらい1人を置き去りにして部室の扉を開けた酔っぱらい2人は、バイクを押す血みどろの酔っぱらい(私)に出会ったのでした。向こうも相当ビビッたそうです。


日本もイラクへの戦争協力を拒否するコトは無いのだろうか?ドイツやフランスのように。
まさに今この瞬間(私の文章作成・あなたの閲覧時)にも地雷の製造をしてるヒトがいることが不思議。「労働」って何なんザンショ?

2003年02月03日

●燃え上がれ

私って、もろに『機動戦士ガンダム』世代なのですね。しかしながら、その続編であるらしい『Zガンダム』とかには興味はないのだ。あくまでも単なる『機動戦士ガンダム』なのですな。ま、機会があったらその続編やサイドストーリーなぞをレンタルで借りて来ようとも思ってはいるが、そんな暇は今のところ無いのだな。今、改めてWeb上で探索してみたら、私が本気で見てたのは、東京での再々放送だったことが分かった。小学校5年の時だったのですねぇ。最終話は3学期だったように記憶していたけど、それで正しかったみたい。
その最終回、「カツ・レツ・キッカ(子供3人組)」が「ア・バオア・クー(宇宙要塞)」を脱出しようとする「アムロ」に対して、テレパシー(ニュータイプの特権?)で指示を出すじゃないですか。「右だよ右」とか「そこで曲がって」とか。最終的には子供3人組が「3・2・1、やったー!」って言うと同時に、ブッ壊れかけた「コアファイター」に乗ってアムロが脱出するのですな。結構泣けそうになりますね、思い出すと。そして、メチャメチャ思い出し笑いをしそうになる。ってか、今も笑いを堪えながらこの文章を記してる。

今は製薬会社で研究職をしている彼、前日の放映の真似をしてたのですな。そう、小学校5年生の3学期、給食の時間のコトであります。
「3・2・1、やったー!」って万歳したら、指を盆に引っかけてみたいで、その日の給食をアルミ製のお盆ごとぶちまけてしまったのです。ムチャクチャ悲しく、そして笑える。

給食を食っているときに、牛乳飲んでるヤツを笑わせるって遊び?は必ずありますよね。あれは牛乳が白いから面白いってのもありますね、鼻から白い筋が流れるってのは視覚的に面白い。鼻血の赤も間抜けで笑えますよね。で、更に悲しくも笑えるコト、それは牛乳を吸収させた「布きれ」の臭さ。
今でこそ雑巾を濯いだり絞ったりってコトは簡単にできるけど、小学生は掃除も嫌いなら握力・腕力も足りないだろうしねぇ。

で、『機動戦士ガンダム』、画期的でしたよね。その当時は私も夢多き小学生だったから、自分が爺さんになる頃には「スペースコロニー」とかが空(ってか宇宙)にボコボコ浮かんでいるもんだと思ってた。ホントはこれから本題に入る予定だったんだけど、文章作成するのに疲れたからこの辺で止めておく。

2003年03月29日

●中央線・嘔吐・制覇 その1

はい、例によって下らない話ね。キーワードは「中央線・嘔吐・制覇」。

私、現在は阿佐ヶ谷に住んでいるのですね。職場も同じ町内なので職住隣接ナリ。たとえ飲み過ぎて下痢気味の朝を迎えても、おのこどもが居並ぶ、駅の男子トイレ(個室)に世話になること無し。この上なき幸せ哉。
で、実家は豊島区長崎、大学は小金井市内にあったのでした。東大よりも学があり、芸大よりも芸があるって大学。そんな学校あるわけ無いスカ?
連載モードに突入します。

2003年06月25日

●中央線・嘔吐・制覇 その2

それは「デビュー戦」と呼ばれていた。
いたいけな大学1年生のオガワマサキ。期待と期待に包まれながら、初めてのサークル活動に参加するのだった。上級生は言う「今日はオガワくんのデビュー戦だ」と。
1989年、東京学芸大学「伸歩会」においてのコトだった。18歳のオガワマサキは自負していた。「俺はそこそこ酒に強いノダ。」

2003年07月29日

●中央線・嘔吐・制覇 最終回

突然最終回になるのです。

気持ちが悪くなっちゃってトイレ以外の場所で嘔吐したことは多々あります。たしか、最初の「恥ずべきゲロ」は高田馬場の連絡橋の上でしたね。トイレを探したけど、酔っ払っているから見つけられず、結果的に駅の「屋根付き連絡橋」の中で吐いたのでした。凄く申し訳ないと思った、今でも思っています。スイマセン、見知らぬ駅員さん。
で、私はその後何度も酒を飲み過ぎ、中央線での帰宅途中に電車を降りてはトイレでゲロ吐いてましたね。さすがに高田馬場の一件以降は最悪でも「ホームから線路上へ」吐いていました。最後までトイレを制覇できなかったのは、大久保と西荻窪だった記憶があります。たしか、大学2年か3年の時にそれらの駅(のトイレ)も制覇した気がしますね。

で、冷静に考えてみたのだけれど、この物語は非常に自分勝手というか判りづらいですよね。私が大学時代に通過・使用した駅名を、学校に近い順から記しますね。
国分寺・武蔵小金井・東小金井・武蔵境・三鷹・吉祥寺・西荻窪・荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺・中野・東中野・大久保・新宿(以上JR中央線)・新大久保・高田馬場・目白・池袋(以上JR山手線)・椎名町・東長崎(以上西武池袋線)
先日の「企業等派遣研修」で茨城県は勝田まで行ってみた際に改めて思ったのですが、東京は駅の間隔が狭いですよね。上記の駅の間はみんな2~3分くらいなものなのです。非常に無駄なエネルギーを金銭・時間・体力的に使ったような気もしますが、その浪費の末に今の私があるのです。

2004年07月01日

●T先生語録

あーづがれだ。

現在は職場で試験問題を作成しているのでした。真面目に作業をしていると、反動として駄文を作成したくなる私なのです。
ってぇコトで、つれづれなるままに。

某国某T都の某T市に某T高校という学校があり、そこに某T先生というソフトボール顧問がいるのです。ここまで書くと、東京都で高校ソフトボール部の顧問を何年かやっているお方は、「あぁ、T先生ね」ってコトになるんじゃないかしら?
で、そのT先生語録でも記そう。

その1:「肉体の健康は精神の不健康」

これは、彼が酒を飲み、タバコを吸いながらよく口にする格言である。
私も「心身共に健康なヒト」ってのは何か信じられないのですね。「酒もタバコも飲まず、スポーツジムなんかに通って汗を流すのが趣味で、週末は手料理を作る男性」とか居たら、私はあんまり近寄りたくない。ま、向こうも私やTセンセみたいな人間には近づこうとしないだろうけれどもさ。
張りつめた世界で生きている現代人には「ある程度のいい加減さ」が必要であり、それが「豊かな人間性」に繋がっていくのである!というコトを表現しているのだが、単純にTセンセがヘビースモーカーで大酒飲みの自分自身を弁護しているだけだとも云えよう。

その2:酔っぱらいの教員とその生徒の会話

<Tセンセは前日に飲み過ぎている。そして、授業が始まり…>
Tセンセ(以下T) 「おう、おめぇら。今日俺は二日酔いなんだ。」
生徒(以下生) 「えー、センセー、大丈夫ぅー?」
T 「うるせー、大声出すな。頭に響くだろ。」
生 「ひどーい」
T 「おめーら、今日は寝ろ。」
生 「えー?」
T 「俺は頭が痛いんだ、つべこべ言ってないでサッサと寝ろって言ってるんだよ。」

生 「センセー、眠れませーん。」
T 「うるせーぞ、おめーら静かに寝ろ。俺が寝れねえだろ!」


生 「センセー、授業してくださーい。そうしないと寝れませーん。」

これは実話らしい。
もう10回以上聞いたコトあるけれど、何度聞いても笑える。
この素晴らしい「会話のキャッチボール」が何回あったのかは知らない。