書評 の日記群

缶公害調査結果

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「環公害防止連絡協議会」はまじめな団体であるようだ。突っ込もうと思えば突っ込めそうな場所はかなりあるが、少なくともパンフレット(リーフレット)に嘘は無いようだ。

(今までその存在を知らなかったことが罪悪かも知れないが、)この前買った文庫本『<増補・改訂新版>環境保護運動はどこが間違っているのか?』はかなり「イケてる」本だと思う。著者が70歳近いというのも面白い(尊敬の念を感ずる)と思った。私がぼんやりと疑問に思っていた「(一般大衆の考えている)環境保護運動」を一刀両断している。
「宝島社」はわりと好きだったが、こんな本を発行していることで更に見直した。

アルジャーノンに花束を 他

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久々に真面目に読書した。4時間ぶっ通しで読んだのは、かの有名な「アルジャーノンに花束を」である。大学1年の時、心理学の授業で「読め!」と言われて読んで以来である。本というのは、繰り返して読んでも「面白いものは面白い」と改めて思うのでありました。前回読んだときの印象とは違ったものを受けるし。
「読書」とか、「誰かが書いた(ホーム)ページの閲覧(この作業を含む)」といった、文章を通じたコミュニケーションてのは、ヒト同士が面と向かって意志を伝えることに比べると、「歪んだコミュニケーション」であると最近感じている私でありますが、それはそれで面白いのですな。
私は単行本は買わずに図書館で借りるか、買う場合は安くなった文庫本を・・なのですが、最近読んだ本で面白かったのは、ガンで死んじゃった池田貴族の書いた本(ガッコの先生に紹介された)と、妹尾河童というヒトの「少年H」でしょうか。妹尾河童というヒトの本は「河童が覗いた・・・」というシリーズを大体全部読んだことがあったりします。何故、妹尾河童が気になったかというと、椎名誠の本に絵を描いていたからのような気がするのでした。妹尾河童というヒトは、昔から妹尾河童というヒト(本名は肇だそうな)だったのだと、「少年H」を読んで思った。その本の「解説」にもあったけど。(この本「少年H」についての追記あり:2007年11月)
何で本を読んだかというと、「生徒にお薦めの本を『1冊だけ』知らせてね(ウフ)」という夏休みの宿題?があるからでもある。
さらに本当のところ、本を読む気になったきっかけはプレステ2の故障だったりする。何故かプレステのソフトは動くものの、プレステ2のディスクは「ユーティリティーディスク(ver.1.01)」すら読まないのである。メモリーカードを抜いていても。

告白

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そんな私は『ソフィーの世界』を読了していないことを気に病んでいる。

葉っぱのフレディ

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憲法記念日ということだが、ソフト部の練習試合も雨で流れてしまい、学校のなかで細々と練習した。その後、お勤め先の図書室に忍び込んでみた。チョット昔にかなり売れたらしい、しかし私は読んだこと無かった「葉っぱのフレディ」ってのを発見したので眺めてみた。内容はともかくも、1500円はボリすぎの気がするが、どうなんだろう。どこかで読んだ感覚(既読感?)を伴う「ありきたり」の内容である気がしたし。

鯖考

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と、いうこと?で鯖の塩焼き(西友阿佐ヶ谷店にて100円で購入)を食っている。世の中の火災原因の大半は「放火」と「タバコの火の不始末」だそうだが、天ぷら油の火災ってのもかなりの割合を占めるそうである。鯖ではなく(コンピュータの)サーバーってのも火災原因になるそうだ。近年は光によるデータの送受信も存在する関係で、サーバーにゴキブリなどの虫が入り込むことによる火災ってのも報告されていると聞いた。
今日は鯖から炎が出なかった。その煙の立ち具合からコンロに流れるガス量の微調整を行い、「鯖あぶら」の発火点?以下に魚焼き網を制御することに成功したのだ。「東京に原発を(広瀬隆著)」って本を改めて読んだりしたので、気分は原子力技術者であった。
またガンガン雨が降ってきた。

体制批判SF

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SF(サイエンス・フィクション)って面白いですよね。『トータル・リコール』が放映されている。そのノベライズ版を読みましたね。そいつは結構面白いです、元ネタはSF界の巨匠フィリップ・K・ディックなるヒトらしい。そやつの作品は読んだこと無い。
映画化もされている『バトルランナー原題running man(リチャード・バックマンまたの名をスティーブン・キング)』も面白い。『アド・バード(椎名誠)』も面白いですね。近未来ものだな。『バトル・ロワイヤル(誰?)』って読んだこと無い。いくつかの書評で『バトルランナー』あるいは『死のロングウォーク(リチャード・バックマン)』を超えてないって文章を見た気がするので。『アド・バード』は面白いですよ。もともと日本語で書かれているでしょうし。おすすめナリ。
これら「体制批判」の作品は、私がこの夏に読んだ『1984年(ジョージ・オーウェル)』ってヤツが元ネタなのかと感じました。権力に対しての批判は必要ですよね。
チナミにリチャード・バックは『カモメのジョナサン』の作者ね。「知ってるよ!」ってか?

もしも月がなかったら

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『 もしも月がなかったら ( WHAT IF THE MOON DIDN'T EXIST --- Voyages to Earths That Might Have Been. ) 』って本があったのですね。その元ネタはアメリカの学者 Neil F. Comins ってヒトが1990~93年くらいに書いた文章だそうな。なかなか面白かったですね。杉並中央図書館で借りてきた。その本は単行本として1999年の7月に東京書籍から出版された本らしいです。東京書籍って教科書だけ作っているわけじゃないのですね、初めて知りましたわ。何でそんなこと言い出すかっつーと、2002年6月12日の日記みたいなことを漠然と考えたコトが多々あった私だからであります。

その本、かなり面白かったから、ちょこっと紹介しておきましょう。以下にその10コの「もし…」を転記。

1:もしも月がなかったら?
2:もしも月が地球にもっと近かったら?
3:もしも地球の質量がもっと小さかったら?
4:もしも地軸が天王星のように傾いていたら?
5:もしも太陽の質量がもっと大きかったら?
6:もしも地球の近くで恒星が爆発したら?
7:もしも恒星が太陽系のそばを通過したら?
8:もしもブラックホールが地球を通り抜けたら?
9:もしも可視光線以外の電磁波が見えたら?
10:もしもオゾン層が破壊されたら?

1・4・5・9は私もチョロッと考えたことあったけど、やっぱり数学・物理学もきちんとやっておけば良かったかなぁ、なんて思ってしまいましたね。数学の授業時間は高校1年次後半から睡眠に充ててしまった私(理科教師としてアリなのか?)であり、物理も2年間高校で習い、大学でも少々囓ったけど、いまいち身になっていないですしね。私的<ワタシテキ>には6(地球から50光年離れたところでの超新星爆発)なんかが面白かったですね。想像したことはあったけど、具体的には考えたことなかったので。

「月はどうやってできたのか」。これは現在のところ「ほぼ確実」とされている理論らしいんで紹介しましょう。
今を去ること46億年前、「月の素(火星程度の大きさの微惑星:質量は地球の約1/10)」が「地球の素(ドロドロに融けた岩石球)」に激突した。その結果、地球の素の表層にあった岩石成分が飛び散り、ドロドロの原始月?が生まれた。しかし今ではそいつも冷え切り、月(質量は地球の約1/100)が生じた。ってなこった。

で、月が存在しない場合の地球「もしもその1:ソロン(月がないバージョンの地球:既にearthとは言えないでしょうけど)」ってどんな星かっつーと、こんな感じだそうだ。
まずビビるのが1日の長さ、ってか短さ。現在の地球の自転周期24時間ってのは、地球(の海)と月の共同作業の結果だそうで、地球が分離しなかったら、1日(1太陽日)の長さは「8時間」となるだろうってコトであります。
そうすると、

・地上の風が現在程度では済まない。(自転の速い土星や木星と同じく)
・潮汐作用(潮の満ち引き)がほとんど無い→生命(勿論、ヒトじゃないですよ)の発生が遅れる。

等々が予想されるのだそうですよ。

私も自分じゃ買おうとは思わない(本当に面白いかどうか分からない本に2200円払うのは嫌だ)けど、図書館で借りて読むには良い本だと思いまーす。

船戸与一

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船戸与一ってヒトの本は面白いですよ。基本的に文庫本(になっちゃったヤツ)を見かけると買ってきますね。超お勧め。
この作家を知ったのは、マンガ『猛き箱舟』(原作:船戸与一 画:柳沢一明)を読んだからだったりします。「ベアーズクラブ」っていうヤングジャンプ系の月刊マンガ雑誌に連載されていたのですな。調べてみたら、私が高校3年の頃くらいに連載されていた様子。今から3億年前とは気づかなかった。で、かなり面白い物語だったので「原作読んでみてぇー」ってコトで読んだのでした。そこからハマりましたね、船戸与一ってヒトの小説。
船戸作品に触れることによって、私の中ではマスコミに踊らされずにモノゴトを多面的に見る傾向が出てきた気がします。私の人格形成に影響を与えていると言えましょう。マンガも重要だと思うんだよね。そのマンガに出会わなければ、今の私は存在しないのだ。特に『猛き箱舟』は船戸作品の中でも相当に面白い物語だと思いますね。
例えば、『ホワイトアウト』って作品も相当に面白いのは確かです、あれは面白い。あるいは『パラサイト・イブ』とかね。そいつらを書いたヒトの作品、他にも出ているみたいなのだけど、それほど読みたいとは思わないのですなぁ。「♪なんでだろーぉ?(ジャージ上下着ながら手足動かしつつ)」。『リング』は相当面白いけれど、続編を引っ張りすぎでしょうね。作家って職業も大変そうだ。

今回読み終えたのは『午後の行商人』って物語。例によって、読後はかなり脱力しますね。分厚い文庫本なのだけど、一気に読める感じです。
チナミに、私、『ポリー・ハッター』ってのは読んだこと無いス。そりゃそうさ、『ハリー・ポッター』シリーズだって読んだこと無けりゃ、映画も見たこと無いんだから。ファンタジー系ってあんまり興味を覚えないんですよねぇ。

そう、私はマンガを読まなくなった、大学4年になるくらいだったかな?「スーツ着ながら電車内で週刊マンガ雑誌読んでるヒト」になりたくなかったんだよね。いつか「ビッグコミックスピリッツ依存症」を断ち切らねば!って思ってたのだ。また、私はスポーツ新聞を基本的に読まない。「スポーツ新聞を読むオッサン」、あれもカッコわるいと思うのだ。銘柄不問、一括り。
また、「日本経済新聞を読むニイさんネエさん」には船戸与一をお薦めする、マジで。経済(お金)は二次・三次的なモノだよね。生物に絶対的に必要なのは「食べ物」だな。そしてヒトにはココロ。


2006年8月追記
『ホワイトアウト』を書かれた真保裕一氏の作品、その後何冊か読みました。
ドラマ化された『奇跡の人』と、デビュー作『連鎖』です。どちらも面白かったです。
その他の作品も読むことになると思います。

『連鎖』文庫版の解説を読んでいて、ディック・フランシスという作家の名前を再確認しました。そのヒトの作品は読んだこと無いのです。気が向いたら読んでみます。
大学時代、1年先輩の小学校国語科のヒトのお勧めが「ディック・フランシス」だったコト、連鎖を読破した中国上海で思い出した私でした。

若かりし日の

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まだ、選挙権を持っているだけ良いというハナシをご存じか?
このクニには税金を払っているのに、参政権を認められていないヒトが居るのさ。このクニで働いていながら、「日本国籍」ってヤツを持っていないヒトたちね。

『GO』先ほど読み終えた。“ナオキショー”とやらを獲得したらしい小説ですわな。最初はレンタルDVDで見たのですね、1年近く前。オシエゴの薦めもあったし、スキンヘッドの兄ちゃん“クボヅカヨースケ”にも興味があったし。で、今回文庫化された本を実家で見つけたので借りてきた、読んでみた。また泣いた。

以下の話をもって、書こうと思いながら書いていなかったハナシは尽きますね。

「バカチョン(カメラ)」って意味、私は高校になるまで知りませんでした。googleで、“バカチョン 意味”を日本語のページから検索してみた。2003年7月25日現在、787件とのコト。多いのか、少ないのか、解らん。

部活動が終わり、帰宅途上の山手線内でセリザワは喋っていた、「チョンはさー、云々かんぬんなんだよねー、アハハ。」と。私は何となく彼が「チョンチョン」言っているのに気づいてはいたものの、具体的にはその「チョン」というものが何者なのか解っていなかった。そして、沈黙を良しとしていた若かりし頃の私は、彼の話を聞きながら曖昧に笑っていた記憶がある。池袋駅に近づき、もうすぐドアも開こうかとしたとき、ひとりの兄さんが絡んできたのだった。

結果的に、私は逃げ遅れた。というか、逃げる必要を感じなかった、僕は何も悪いことをしていない(と思っていた)から。絡んできた兄さんに求められるまま、池袋駅構内で土下座されられたのだった。周りの友人は逃げちゃったから。OGの南海センパイはずっと横にいてくれた。彼女は兄さんに対して怒っていた。「土下座までさせる必要ないのにー」と。

ってコトで、これが私における民族という概念との「遭遇コトハジメ」なのですな。
あの出来事が無ければ、今の私はない。

突然ですが…

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「小川文庫の10冊(2003暫定版)」

順位 作者 書名
トップ1 サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』
トップ2 ダニエル・キイス 『アルジャーノンに花束を』
トップ3 村上春樹 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
トップ4 太宰治 『人間失格』
トップ5 吉本ばなな 『TUGUMI』
トップ6 船戸与一 『猛き箱舟』
トップ7 リチャード・バックマン(スティーブン・キング) 『The running Man』
トップ8 椎名誠 『アド・バード』
トップ9 村上龍 『コインロッカー・ベイビーズ』
トップ10 妹尾河童 『少年H』
もうすぐトップテン? ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』
もうすぐトップテン? 夏目漱石 『坊っちゃん』
もうすぐトップテン? 司馬遼太郎 『龍馬がゆく』
もうすぐトップテン? 鈴木光司 『リング』
もうすぐトップテン? 三島由紀夫 『潮騒』
もうすぐトップテン? ヘッセ 『車輪の下』
もうすぐトップテン? リチャード・バック 『カモメのジョナサン』
もうすぐトップテン? レイチェル・カーソン 『沈黙の春』
もうすぐトップテン? カミュ 『異邦人』
もうすぐトップテン? シートン&ファーブル(別にペアではないけど) 『シートン動物記・ファーブル昆虫記』

苦節云年

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先週末、私の勤め先に於いて、専任教諭には1人1台のパソコンが行き渡った。私は情報処理部とやらに属しており、部長(Tセンセ)は数年前から「1人1台のパソコンを!」と主張していたのでありますが、パソコンも結構値が張るものでもあり、なかなか「1人1台」の実現が果たされなかった様子であります。
私自身は5年前に自腹で購入したノートパソコンであるLet's note(型番CF-L1EA)を職場でコツコツと使い続けてきたのですが、この度やっと仕事用のツールが正式に支給されたわけですね。そんなわけで、5年前のモデルからCeleronM搭載の富士通はFMV-LIFEBOOKとやらへ、作成したファイルや環境を移行する作業を行い、それは本日ほぼ完了しました。その際に知ったことが2点ほど。1つは「Googleツールバー」の新バージョンが出ていること。もう1つは「SETI@home」の新バージョンが出ていたこと。どちらもなかなかに面白いものでありました。setiのほうは敷居が高くなった気がしますね。公式ページには日本語も記してありましたが、プログラムの導入自体が複雑になっており、少し英語と格闘した私でした。「Googleツールバー3」はベータ版ではあるらしいですが辞書機能が追加され、便利になっていますね。辞書ってのは基本的にWebページを閲覧しているときに多用しますしねぇ。
富士通というと、この間買って読んだ『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』が印象深かったのであります。なかなか面白い内容でありました。Amazonで思い出しましたが、『新しい歴史教科書』の新版ってヤツ、今回は市販されないそうでありますねぇ。

ILLUME

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学校というトコロはかなりの量の印刷物が届くところであるなぁと思う。昨年度から職場では教科「理科」の「まとめ役」を仰せつかっているので、理科関係だけでも毎日毎日いろいろな郵送物がやってくるのである(メール便もね)。そんな中、私がもっとも楽しみにしているのは東京電力の発行する雑誌『ILLUME』である。年に2回しか発行しないそうであるが、装丁も美しく、記事にも読み応えのあるものが多いのである。そいつが本日やってきた。
私の住んでいる場所に給電してくれているのは東京電力であり、毎月電気代の請求等はバッチリ投函されてくる。しかしながら、この冊子は普通の東京電力ユーザーに送られているわけではないようで、私の家のポストに入っていたコトは無い。つまり、東京電力の一般ユーザーは、使いもしない「TEPCOひかり」のテレビCM広告料やこの冊子『ILLUME』の代金を電気代として余分に支払っているのであろう。まだ1年経っていないと思うのだけど、上記サイトではバックナンバーをくれたり(あるいは購読を申し込めたのだったかしら?)した気がするのだ。そのサービス?も終了してしまったらしい。
こういった啓蒙書?の類は原子力関係や大学なんかからも送られてくるのだが、面白さでは『ILLUME』には敵わないのである。カネのあるところは強い。
関係が無いような話だが、私はここ数ヶ月「核燃料サイクルの研究も続けたほうがよいのかなぁ?」との思いを強めつつあるのだ。かといって、敦賀湾の横に棲みたいとも思わないのであります。卑怯な私であります。ちょこっと関連するのだが『地球と人間の環境を考える』っていう日本評論社という会社が出しているシリーズは面白いです。1巻から6巻まであるのですが、一通り読みましたし、巻によっては複数回読みました。間違って図書館で何度も借りてしまったノデ。と、ここまで書いて調べてみたら、このシリーズは12巻まで発売されている様子であります。とりあえず7巻目を杉並区立図書館に予約してみた。

呼び捨てになってしまう犬たち

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最近TVで彼らをよく見る。「パン君とジェームズ」って2人組をね。ご存じない方に一応説明すると、パン君→チンパンジー ジェームズ→白いブルドッグ の2匹組である。私が最初に見たのは日産自動車のCMだった気がします。
で、疑問があるワケよ。何でチンパンジーは「くん付け」で、ブルドッグは呼び捨てなのだい?
私がふと思い出したのは、『動物農場』という作品である。厳密にはその読者レビューである。
上記ページにあると思われる、レビュアーpentagramさんが言ったコトバ “一つ気になったのは、動物の世界でも犬はやっぱり犬でしかない事。ミッキーマウスのプルートもそうだ!けど、ここに出てくるナポレオンに育てられた犬も喋ることはなく唸ったり吠えたりしているだけである。なぜだろう?” を思い出したのだ、「パン君とジェームズ」を見てね。確かにプルートも喋らないよなぁ。
『動物農場』という作品は面白いです。あんまりソビエト共産党内部については詳しくない私であるが、寓話として面白い。同じGeorge Orwell(ジョージ・オーウェル)の作品で『1984年』というのがあるが、こちらの方が有名でしょうか?『動物農場』はそれほど長くない物語だが、完成度は素晴らしいと思います。この本を私に薦めてくれたのは、鈴木勇という元同僚の国語科の教員であります。

アングラ好み

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今住んでいるトコロの最寄り駅から電車に乗れば、秋葉原へは10分もかからない。そのせいか、明日開業となる「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」なる店舗の折り込み広告が朝刊に挟まっていた。で、かなりビビッタ事があるのでお知らせしたいのだ。
実はニュースでも報道されていたのであるが、私は気が付かなかった。その建物は地下6階までが駐車場になっているコト。「地下6階の駐車場」なんて聞いたコト無いや、私は。
ちょっとググってみたけど、そんなに深そうな駐車場、やはり見あたらない。「地下6階」で引っかかったのは「国際ビル(東京都千代田区丸の内三丁目1番1号)」であります。帝国劇場が入っているビルらしいです。もちろん、地下は駐車場では無いらしいです。
最近私はアングラに興味があるのですね。アングラはundergroundの略ね。この場合のアングラは「演劇」でもなければ「政治活動」でもありません。その字面のまま「地下(構造物)」に興味があるのね。丁度1年くらい前、杉並中央図書館から1冊の本を借りたのですね。その本は秋庭俊というヒトが書いた『帝都東京・隠された地下網の秘密』ってヤツ。詳しくはAmazonの書評をご覧あれ。この本は続編もあって、それも借りて読みました。私は割と地図好きであり、山や川といった地形、道路・地下鉄の走り方なんかにも昔から興味があるのだな。チナミに鉄道車両マニアではないです。また、以前から「何で東京の地下鉄は不自然に曲がっているのだろう」というのも疑問として感じていました。2つばかし、私が以前から疑問に思っていた例を挙げましょう。 1:池袋駅周辺の地下鉄路線の走り方。新しいはずの路線である有楽町線、郊外からやってきて要町駅を出た後、昔からある丸ノ内線のホームへ向かってませんか?(チナミに、新線はもっと露骨に丸ノ内線ホームに向かってますよね。以前、丸ノ内線のホームの端から線路の行く末を眺めた事がありますが、暗くてよく見えなかったデス…) 2:新橋駅東側で発生する、銀座線と都営浅草線のニアミス。銀座線は「最初の地下鉄」というコトになっていますが、何で新橋駅の東側ではバキッと折れ曲がっているのだろうか。地下に元々十字路が有ったんじゃないの?
で、秋庭ってヒトに言わせると、東京にはかなりの地下道網が第2次世界大戦前から存在したってコトらしいッス。それらの本を読んだ後、職場の近くの南阿佐ヶ谷駅でフト気付いた事があります。丸ノ内線ってヤツは車両の上に「架線」も「パンタグラフ」も無いのですね。低い位置にある電流専用のレールからエネルギーを得ているらしいです。しかし、丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅の天井には、どう見ても「昔、何かが取り付けられていた形跡」があるのですよ。コンクリが剥がれ落ちているというか、等間隔にボコボコ穴が空いているのです。昔々、トロリー系の乗り物か、あるいは地下鉄があったのでしょうか?秋庭というヒトに言わせると「都営大江戸線が広軌(鉄ちゃん的には標準軌らしい)なのは、昔(戦前?)からあった線路を使ったためであり、車両が妙に小さいのは、昔からあったトンネルの内側をきれいにデコレーションしたため」ってなそうだ。確かにそれもありそうだ。
そんなわけで、地下を使えるビルの持ち主ってのは、かなり胡散臭いというか、クニ(利権)に近い存在であるのだろう…と彼は宣う。私は折り込み広告を見て思ったさ、「ヨドバシよ、おまえもクニ側か…」というコトでありますよ、結論はね。前述の「帝国劇場」ってのが入っている「国際ビル」。名前も地下6階まであるってコトも胡散臭いなぁ。

あ、チナミに前回の物語のオチを。私の胸が赤く染まっていたのは、シャツの胸ポケットに入れていたボールペンのインクが漏れたってコトです。ノック式のペンは気付かぬうちにペン先が露出する恐れがあるし、そうするとシャツへのインク付着が起こりますよね。そんなわけで、私は胸ポケットに収めるボールペンは必ず「キャップ式」にしているのです。しかし、夏休み終わり近くのある日、何がどう忙しかったのかよく判りませんが、ボールペンを使い終わった状態のまま胸ポケットに収めてしまったようなのですね。水性インクだったため、どんどんインクはシャツに染みこんだ様子でした。ただし、水性だったから手洗い+洗濯機でほとんどインクは落ちました、めでたしめでたし。

映画化された本は楽しい

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読書も勉強と同じく、「内発的動機付け」ってのがあると思う。それは目に見えず、自分でも「何故この本に惹かれたのだろう?」とかいう感じで、うまく表現することが難しいものである気がする。10数冊に1冊くらいかなぁ、読み終えるのが夜更けになるくらい真剣に読んでしまう物語に出会うのは。
先週読み終えたのは貴志祐介というヒトの『青の炎』という本。以前ブックオフで100円で買った『黒い家』って物語が凄く面白かったので、今回はちゃんと新品を日暮里で買ったのだった。しばらく積みっ放しだったやつを読み始めたのが1週間前の午後であり、その日の夜中の1時過ぎに読み終えた。
昨晩読み終えたのは『黄泉がえり』という本で、梶尾真治というヒトが書いたものである。これは配偶者からずっと前に借りていたヤツで、やはり昨晩遅くに読み終えた。
どちらの作品にも共通しているのは「映画化されている」というコトでしょう。ってか、「映画化されているから読んだ」という面はありますね。日本の作家に限らないが、映画化された作品ってのは傑作が多いですわな。
上記の作品、どちらが面白かったかったかと言えば、『青の炎』に軍配が上がる。

チョー高価な本「リブリエ」

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本日、山手線内で「電子ブックリーダー」を持っているヒトを見た、初めて。
厳密に言うと、「電子ブック」ってのは直径8cmのCDに焼かれたものであるようで、昔の「CD読み出し機」はゴツかった。あれは全然欲しくなかったデス。

今回見た「ソレ」はsonyの LIBRIe とかいう製品だったようだ。スマートであった。ちょっと気になった私である。そして帰宅。
しかし、調べて分かったのだが、価格がえらく高い。新品を安く買っても40k円弱の値段らしい。特に買いたいと思わないなぁ。本屋や図書館で表紙とかを眺めながら、あれこれ物色するのが楽しいじゃないですか、読書はさ。で、文庫本が数十冊買えるぜ、その価格だと。あれは一種の嗜好品というコトにした、私の頭の中で。

遅ればせながら、2週間くらい前に『電車男』読んだ。編集が良いと思いました。2ちゃんねるへの書き込みを取捨選択して作ったわけでしょうけれど、その選ぶセンスが良いと思った。
そしてどうしても、成長した「ちびノリダー」の彼が目に浮かんでしまうのだった。映像の力は恐ろしい。

いまさら『半落ち』

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『半落ち』を読み終えた。面白い作品だった。売れただけのコトはある。

しかし、私はこの作品の最もキモとなる部分、重要なオチを予め知っていたのだ。なぜなら「朝日新聞の心ない記者?」に教えられていたから。新聞の紙面で見た記憶があるのですね。「このオチは実際にはあり得るのか?」って記事を。できれば、「ネタばれ」は止めて欲しかったところである。しかしながら、たしか1年くらい前?にその「ネタばれ記事」を読んだから、改めて『半落ち』っていう題名が私の脳に再登録され、今年になって文庫本を買う気になったのも確かである。

なにしろオチが分かっているのにこれだけ読ませてくれた。凄い作品です。映画化されるワケですな。

作られていく「ベストセラー」

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そういえば、1週間くらい前にリリー・フランキー作『東京タワー』を読んだ。その読者レビュー等は腐るほどWeb上に存在するだろうから、特に記さない。とりあえず、リリー・フランキーってヒトの、別の作品を読もうと思った。

今朝の「めざましテレビ」を見ていたら、Bookランキングをやっていた。上記書籍は2位だそうで。そのデータは「ブックファースト渋谷店」とやらが出所らしいが、そのデータをもって日本全体で同じ本が売れていると思ってはいけないのだろう。前述の星占いと同様に。
で、今朝改めて不思議に思ったことがある。それは「流行の本」なんて気にするのは、基本的に「ヒマな大人」なのだろうなぁ、ってコト。

日本国憲法や教育基本法を見る限り、学校というのは個性を伸ばす為に存在しているはずなのだが、教育を受ければ受けるほど、画一化されていくような気がしなくもない。これは面白い現象であろう。畑仕事に精を出しているおじいさん・おばあさんは『東京タワー』なんか知らなくても生きていけるのだろうが、変に情報過多な(自称)現代都会人は、流行の本を読まないと、何かに取り残されるような気がしてしまうのだろう。私もその傾向があるわけだが。

最近は中学生なんかの間にも「流行の本」なんかがあったりするみたい。超有名どころでは『ハリーポッター』シリーズだろうか。
思えば、恐ろしい世の中であるコトよのぉ。

人類の月面着陸はあったんだ論

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『と学会レポート 人類の月面着陸はあったんだ論』って本を杉並区立図書館から借りて読みました。面白かったデス。どうも私は「国家の陰謀論」みたいなモノにひかれてしまう性癖があるらしいことに気付きました。実は、この本を読む前に『アポロって本当に月に行ったの?』も読んでしまっていた私なのです。別に自分で買ったわけではなく、職場のとあるクラスに置いてあったのを読んだのですけれどね。
『あったんだ論』を読み、「アポロ計画で月へヒトが行ったってのは嘘だ」と主張する人々が昔から存在したコトを知りました。この本は、その主張に対して科学的に反論しています。
結論から言うと、やっぱりアポロ宇宙船は月へ行ったとしか考えられないというコトです。

チナミに、私が以前何となく疑問に思っていたことは「月面の旗が、何故あんなにはためいて見えるのだろう」ってコトでした。そのあたりの話はJAXA内サイト 第3話 人類は月に行っていない!? - 月の雑学 - 月を知ろう - 月探査情報ステーション(タイトル長すぎ!)にも書いてありました。


突然ですが、UFOと掛けてイチローと解く、そのココロは? 「エリア51」であります。さすがに、現在の私は「地球外生命体が作成した飛行物体」の存在などは信じていないのですが、幼い頃は結構信じていたコトも確かです。

GoogleMapsでのarea51付近は、明らかに地図の質が異なります。ちょっとズームアウトすると分かります。何か理由があって古い画像か何かなのでしょうか?

で、ふと気になったので東京都内の巨大基地「横田基地」も見てみました。

横田基地の方は、周囲の画像と比較して、古かったりぼかしてあったりするコトは無い様子です。それは「大して重要なモノは無い」ってコトの一つの証になるのでしょうか?まあ、戦闘機などの開発をしているらしい「エリア51」と、アメリカの単なる?飛び地である「横田基地」の重要性は全然異なるのでしょうけれどね。

今日は珍しく、文体を「ですます調」に統一してみました。

良い香りと悪い臭い

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また、お恥ずかしい話を。
私は生物名に詳しくないのです。数日前、初めて「フリージア」の姿を知りました。なお、「フリージア」ってパソコンショップが秋葉原にあることは知っていました。
春は卒業式とかなんだかんだがあるため、比較的花束に遭遇しやすい季節でしょう。その花束の中に、とても良い香りの花があることに気付いたのです。何度もその香りを嗅ぐうちに、約20年前の記憶が蘇ってきたのです。私が小学生の頃、香り付き消しゴムとか香り付きボールペンが発売され始めたのですね。で、少ない小遣いを貯めては、ボールペンなどを購入したりしました。その中の1本の香りに近いことに気付いたのです。「この花は、名前だけを知っていて、ボールペンの香りにもあったフリージアでは?」と気づき、ネットで調べてみたところ、当たっていました。「そうか、これがフリージアか」と、変に感動しました。確かに、香料にしたくなるような、良い香りです。しかし、合成の香料よりも本物のフリージアのほうが良い香りでした。
香りで思い出したのですが、私が職場で嗅いだ中で一番強烈だった臭いは酪酸です。何故酪酸の試薬瓶を開けたのかは忘れてしまいました。腐った銀杏のような、大便のような臭いが、私の体にまとわりついてしまったのです。廊下を歩いても、職員室に行っても「何だ?この臭いは?」という人が現れ、いちいち説明する必要がありました。幸いにして、その臭いは徐々に拡散し、白衣は洗濯もしたので臭いは分からなくなりました。たまたまなのですが、その出来事の少し前に『スメル男』という本を読んだこともあり、「この酪酸の臭いが体から取れなかったらどうしよう」って不安になった私でした。その本は原田宗典ってヒトが書いた本です。この人の本はほんの数冊読んだことがありますが、この『スメル男』が一番印象的であります。
で、そのことも思い出し、ググって見て発見したのが以下のページである。
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/bake/960887428/l50
単なる2chの一掲示板でしかないのだが、6年間も生き長らえているのが面白いし、そこに書かれている内容も面白かったです。酪酸は比較的メジャー?な悪臭物質らしいですね。

がっきゅーうんこ

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明日から新年度の授業が始まる。

もう何年になるのか忘れたが、担任するクラスには「学級文庫」が置いてある。基本的に私が読み終えた文庫本で、面白いと思ったものを置いてある。単行本は大きすぎ、高すぎるから買わないのだ。鞄に入れて通学途中に読むには単行本は大きすぎる。ただ、最近はブックオフなどでベストセラーの単行本を投げ売りしていたりするから、そちらを購入することもある。
本日、明日の始業式へ向けて「文庫」の在庫をチェックしていたところ、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド(上)』と『コインロッカーベイビーズ(下)』が無くなっていたことに気付いた。誰か卒業生が持って行ったのだろう。もしかすると捨てられてしまっている可能性もあるが、良い方に解釈しておくのだ。
私が必ず「文庫」に置いておくのは『少年H』『リング』『TUGUMI』『ノルウェイの森』あたりだ。この文章書いていて思い出したが、『ライ麦畑でつかまえて』も無くなっていたなぁ。上下巻に分かれている文庫本だと、無くなっていることに気付くが、1冊で完結するような作品だと、無くなっていることに気付かないことも多い。『アルジャーノンに花束を』は残っていた。
「本を読むのが苦手だ」って生徒には『リング』を勧めますね。あの物語は面白い。また、それなりに厚さがあるから「本を読んだ」って実感が得られる。映画化もされてますから、馴染みがあるはずだし。

新しい高校地学の教科書

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ブルーバックス『新しい高校地学の教科書』をだいぶ前に読んだ。面白かった。
読み物として良くできているし、大学受験へ向けての参考書としても上質である。最新の知見も盛り込まれており、バランスの取れた内容である。大学受験で地学が必要な高校生は、まずこの本を読破することから始めるのが良いのでは無かろうか。
約20年前、私はコツコツと『チャート式地学』で独学を行った。この本がその当時にあったなら良かったのに。こんな本で勉強できる、今の高校生は幸せだ。
そして、この本を読むと「地学」という分野が発展途上であるということも分かる。地学という学問に興味が湧くような書籍に仕上がっている。なにしろ、ベタ褒めするのである。受験生じゃなくてもオススメである。

それに対して『新しい高校化学の教科書』、地学に比べると面白くない。まだ読破していないのだが。面白くないから読破できていないという面もある。真面目な私は「読み始めたからには読破しよう」って考えている。
全体的に「独りよがりの文章」が多いように感じた。8名の共同執筆らしいが、確かに文章がモザイク状になっているような気もする。『地学』の方はそんな印象は持たないまま、一気に読破した。まあ『化学』は最後まで読んでいないので、最終的な感想ではない。しかし何しろ、現時点では『地学』の勝ちである。
まあ、受験生はこの本を読むのが良いのかも知れないが、受験生以外には勧められない気がする。

元々、化学は「暗記と計算力」がどうしても必要になる「受験科目」である。「化学を勉強するのが好き」かつ「理科を受験科目にしなければならない」ならば化学を選択すべきである。また、理系ってヤツに進学を希望するならば、絶対に勉強しておかなければならない科目であろう。
しかし、化学は勉強するには難儀な科目であることも確かである。ま、私は好きですけれど。

[改訂版] 新しい歴史教科書

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表題の扶桑社の歴史教科書を読んでみた。

初版の『新しい歴史教科書』を読んでみたかったが、結局入手できなかった私である。
今回、扶桑社から職場に送られてきた『改訂版』見本があったので、一通り読んでみた。

この教科書は、良くできていると思った。
世間(「世間」とは何かという問題もあるが)で喧伝されているほどに「右翼」的な教科書とは思えない。なお、私は「プチ左翼」のつもりである。「真性左翼」からすれば、とんでもない記述があるのかも知れない。その気になって重箱の隅をつつけば、幾らでもつつく場所はあるのかも知れない。


私は約1年前、以下の本を図書館から借りて読んだ。
『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究―中国における「情報戦」の手口と戦略

簡単に言うと「南京大虐殺で30万人殺されたというのは真実からほど遠い」というコトを述べている本である。「目から鱗が落ちる」という思いを抱いた。面白い内容だった。


私は取り立てて戦争を美化するつもりはないし、殺し合いや殺人のための武器は世の中から無くなるべきだと思う。しかし、過去というものは変えられないし、人殺しは何だか続いている。

歴史にしろ、自然科学にしろ、真実に近づくためには、事実について自ら調査するしかないのだろう。

そして、私は調査として『 [改訂版] 新しい歴史教科書 』を読んだわけだ。繰り返しになるが、思ったのは「噂ほど悪い本じゃないんじゃない?」ってコトだ。この教科書は、主張がはっきりしていてよろしい。まあ、他の教科書会社の教科書を読んでいないから、比較できないのですけど。


もし今度、「つくる会」の教科書採択に反対する杉並親の会に署名を求められたとしても、私は署名をしませんね。

なお、様々な学校で使用する教科書が変わったところで、それを教える社会科の先生は基本的に変わらないワケだ。そして、校長センセイ様がすべての教員の授業を検閲できるわけでも無いだろう。だから、全体としては大きな問題にならないだろうとも思うのだ。また生徒に一番近い存在である「人間としてのヒラ教員」は、そういった緩衝作用を持っているべきだとも思う。

これからは、教員自身の歴史観や世界観が、より明確に問われる時代になるというコトなのじゃないかしら。自ら考える教員が必要とされていくのでしょう。

環境危機をあおってはいけない

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書いたつもりで書いてなかった話があったので記す。

職場に50歳超の、しかし下手すると(?)私には40歳前後くらいに見えるセンセがいる。
彼は杉並区立の小学校・中学校を卒業していて、今の自宅も職場も杉並区内である。

東京都には23の特別区があるが、基本的にそれぞれの区は保養所のようなものを持っているようだ。
私が卒業した小学校・中学校は豊島区立だったのだ。私たちの世代で豊島区立の学校に通ったヒトビトは、小学校の修学旅行は日光へ、中学校の修学旅行は京都・奈良へ行ったハズ。

千葉県の富山町というところに岩井海岸という場所がある。この地には、様々な区の臨海学校用施設が存在している。豊島区には「臨海学校」って行事は無いのだが、杉並区にはあったそうだ。

で、彼が小学生の頃だから、約40年前と云うことになるのだろう。

そのころ、日本は高度経済成長の真っ只中だった。小学生が岩井の浜で海水浴をするのは良いのだが、その当時の東京湾は相当に汚れていたそうだ。今で言う「オイルボール(廃油ボール)」なんかがゴロゴロしている中を、彼らは一生懸命泳いだのだそうだ。確か約2年前にこの話を聞いたのは、阿佐ヶ谷の飲み屋「天竜」である。彼は基本的に植木等と所ジョージと高田純次を足して5で割ったようなセンセイなので、話が若干大げさになっている可能性もある。
が、何しろ約40年前、海を上がった後には先生達がオイルボールで汚れた体をベンジンで拭いてくれたのだそうだ。確かにベンジン(一種の精製された石油)ならばタールも割と落とせるであろう。石鹸くらいではこびりついたタールは落ちないだろうし。

それを思えば、現在の東京湾は綺麗なものである。
世界中の海や川や空気、全体を平均してみれば、数十年前よりは明らかに綺麗になっているらしいですね。地球の環境は「すべての生物に対して完璧」であるとは言えないが、ヒトにとっては劇的に改善されつつあるらしいです。

『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』って本(早く図書館に返さなきゃ! まだ半分しか読んでないけど)を読んでいて、思い出したコトでした。

『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』を読破した。
杉並区中央図書館への返却日を1ヶ月近くオーバーしての返却だった。

この本をどうしても手元に置いておきたくなったので、一昨日購入してきたのだった。紀伊國屋書店の新宿南店なら在庫があるかと思い、行ってみたのだった。棚には出ていなかったが、在庫は存在した。私が購入したのは"2006年1月30日 第5刷"であった。
若干カバーとかが汚れていたのが気になったのだが、中身は汚れていなかったので購入を決意したのだった。別の店に、カバーが綺麗な在庫を漁りに行くという手もあったのだ。例えば紀伊國屋書店の新宿本店などへ。ただ、この本はあんまり売れる本でもないハズだ、定価が4500円もするし。そういう高価で回転の悪い書籍を購入する場合、書店によっては版が古いものしか置いてない場合もあるだろう。この本の第1刷には結構な数の誤字・誤植が存在することが分かっていたので、ちょっとカバーが汚れた第5刷を購入した。

以下がその書籍関係のリンク。

文藝春秋|書籍ショールーム|環境危機をあおってはいけない ←出版社のページ
『環境危機をあおってはいけない』サポートページ ←翻訳者によるもの
Amazon.co.jp: 環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態 ← Amazon での書評など

私が特に面白かったと思う、そして、この本を読みたくなるであろう部分を何点か紹介しましょう。

lomborg.jpg

上の図は、標準的現代人における、「食べ物からの農薬摂取量(45μg/日 つまり99.6%)と水からの農薬摂取量(0.2μg/日 つまり0.4%)」だそうだ。
結構世の中の「環境保護派」は農薬を悪者として捉えている場合が多い気がする。そして、その農薬が飲み水を汚染することも嫌悪していたりする。しかし、上のグラフを見ると分かるように、私達が口にする農薬の99.6%は、野菜などに付着しているものなのだそうだ。私にとって、このグラフは驚きであった。

「じゃあ、野菜の生産に際して、農薬の使用を止めてしまえ」という主張が起こるかも知れないが、それを実際に行った場合、野菜類の生産コストが増大し、現代人が野菜を口にする機会が減少すると述べている。

何カ所か引用する。

ヒトを使った研究からはきわめて限られた情報しか得られていない。発ガン性農薬についての評価の圧倒的大部分は、実験室での動物実験に基づいている。でも各種研究によれば、1日3杯のコーヒーあるいは1日1グラムのバジルは、現在の摂取レベルで見れば、もっとも毒性の強い農薬より60倍以上リスクが高い。

低価格で農薬使用を減らせるなら、減らすのは賢明だろう。でももっと大量の農薬使用量削減は、社会にとってすさまじいコストをもたらす。

農薬は収穫高を増やしてくれるので、果物や野菜を安く作れるようにしてくれる。

世界ガン研究基金の研究が強く主張しているのは、ガンの頻度を減らしたければ、果物や野菜の摂取量を増やすことが絶対に不可欠だ、ということだ。

なお、この本の中では、水道水中の農薬よりも、農作物に残留している農薬よりも、コーヒーよりもバジルよりも、DHMO(ググリンク)よりも遙かに危ない物質について記してあった。それは、アルコールであり、タバコであるとのこと。

この本全体で著者が最も主張しているのは、「きちんと物事の重要性に順位をつけようよ」というコトである。
この書籍の冒頭の一節を引用する。

ぼくたちは環境団体やビジネスロビイストやメディアだけに、真実や優先順位の提案を任せておくべきじゃない、ということだ。むしろぼくたちは、環境論争において慎重な民主的チェックをがんばって追求すべきなのだ。そしてそのためには、世界の本当の状態を知るべきだ - ぼくたちの世界の本質的な部分について、最重要の事実や関係についての知識を持つべきだ。

この本は図書館から借りて読破したにもかかわらず、4500円もするにもかかわらず、どうしても欲しくなった本なのである。環境問題に興味がある方は、とりあえず図書館にて手に取ることをお勧めする。

この本を読めば、喫煙者や大酒飲みが「BSE 混じりのアメリカ牛」を心配するコトのアホらしさに、改めて気づくだろう。私は「アメリカ合衆国在住の、日本で小銭稼ぎを目論むブッシュ氏」を応援するわけではないし、意図的にアメリカ産牛を食べるつもりでも無いけれど。

『増量・誰も知らない名言集 イラスト入り』

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昨年末にリリー・フランキーの『東京タワー』を読み、他の作品も読まねばならないと思った私だった。

で、今年の初めには『増量・誰も知らない名言集 イラスト入り』を購入したのだった。ずっと放置してあったそいつを読破したのは、7月頃だった気がする。

この本には、彼の身近な人々の発した「名言」が収まっている。出てくるのは「歴史上の人物」などでは無い。だから、本当に「誰も知らない名言」が収録されているのだ。その数40弱。

私が一番面白い「御言葉」だと思ったのは「次の日は苦い」というヤツである。
印象深い話はサンドイッチのヤツ。

リリー氏のイラストは面白い。しかし、そのイラストは「御言葉」を紹介している文章の途中に挟まれているため、そのオチに到達する前に、「ネタバレ」が起こってしまう場合があった。特にサンドイッチ話なんか。その点が少し残念だった。なので、この本を買うならば「イラスト抜き」バージョンの方が良いのかも知れない。


『東京タワー』は面白いが、何しろこの『誰も知らない名言集』も面白い。この本を電車の中で読むことはお薦めできない。笑いをこらえることができないだろうから。
なお、内容は「お下劣」とされるものが多いです。しかし、華麗な文体というか何というか、ほのかに笑わせる際の文章のひねり方が、常人には真似できない気がしました。何というか、普通の人は話を面白くするために捻る際、180度とか、360度とかの分量(?)を捻る気がするワケです。しかし、彼リリー・フランキーの場合は基本的に「4分の3捻り」くらいの感じがするのですね。
何しろ、スゴイ文章を書く人だなぁと思ったのでした。

また、機会があれば(読むべき本が無くなったら)、リリー氏の著作を読みたいと思うのでした。

『反社会学講座』のすすめ

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昨晩、『反社会学講座』を読了した。
web上の「スタンダード 反社会学講座」を更に理論武装(?)したものが書籍となっているそうで。
かなり面白い本ですね。

「講座第2回:キレやすいのは誰だ」が一番面白いと思う。講座のまとめは以下の通り。

・凶悪少年犯罪が近年急増したというのは、マスコミが捏造した世論です。
・戦後最もキレやすかったのは、昭和35年の17歳です。
・凶悪少年犯罪の低年齢化というのも、ガセネタです。
・50、60代の人間の増加は、社会に重大な影響を及ぼします。
・善良な市民もけっこう凶悪だったりするので注意が必要です。


ところで、紙で手を切ると痛い。
今朝届いた新聞を読もうかと思ったら、折り込み広告で切ってしまった。和紙だったら、そんな現象は起こらないのだろうなぁ。
折り込み広告に使われているのは洋紙である。また、その洋紙は綺麗に裁断してあるから、手も切れてしまうのだろう。技術の革新とは、トキに危険なものであるなぁと、改めて思ったのだった。
新聞紙で切らなかっただけ、良しとしましょう。あの「もさもさ感」ありありの新聞紙で手を切ったら、痛そうだから。

キング礼讃

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私が「作家」という存在を意識したのは、スティーブン・キングの作品を読んでからだと思います。

高校のトキ、何となく訪れた池袋の LIBRO に平積みになっていました。『クリスティーン』文庫版の上下巻が。
「文庫カバー画像」を探してみましたが、下巻しか見つかりませんでした。Amazon から頂きました。
christine.jpg
平積みになったこの本の左には、青の背景になってる上巻が並んでいました。その車(クリスティーン)はボロボロ。

何故かこの装丁に気を惹かれ、高校生だった私はこの文庫を買いました。上巻だけ買ったのか、上下巻セットで買ったのかは忘れましたが。以降数年間、スティーブン・キングの文庫本は一通り買いました。新刊(ただし、文庫版)が出るたびに買いました。数冊読破した頃、彼が「世界で一番売れている作家」であると知りました。

私が一番好きなのは、『バトルランナー』です。
参考文献「小川文庫の10冊(2003暫定版)」


で、最近読んだのは文庫版の『アトランティスのこころ』です。と言っても、1年近く前ですが。

『蠅の王』って書名は、いつからか知っていました。ウィリアム・ゴールディングというヒトの作品で、名作に該当するものらしいから。その作品と『アトランティスのこころ』が関係あるらしいことを知ったのは、『蠅の王』に対する Amazon 上の書評を読んだからです。『蠅の王』を読んだのは2年ほど前だった気がします。

で、『アトランティスのこころ(白石朗 訳)』には、とても印象的な文章がありました。
久々に遭遇した旧友と、主人公の会話です。

「まだタバコを吸ってるのか?」
「やめたよ。去年ようやくね」
 スキップはうなずいた。「きっぱりタバコをやめないことには離婚してやると、女房から申しわたされてるんだ……だったら、ま、努力だけはしないとね」
「喫煙は最悪の習慣だぞ」
「お言葉だがね、生きていること自体が、最悪の習慣じゃ無いのか」

アフターダーク 三日月 朝 西

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題名の語句でググり、ヤフってみた。
私の意図した文章は引っかからなかった。なので、記す。

村上春樹の『アフターダーク』って作品を、先ほど読み終えた。
彼の作品のほとんどは読んでいるはずだが、それらと比較してもかなり不思議な作品であった。

文庫本(第3刷)の291ページから引用。

新しい太陽が、新しい光を街に注いでいる。高層ビルのガラスがまぶしく輝いている。空には雲はない。今のところひとかけらの雲も見あたらない。地平線に沿ってスモッグの霞がたなびいているのが見えるだけだ。三日月は白い沈黙の岩塊となり、遠く失われたメッセージとなって、西の空に浮かんでいる。

正真正銘の「三日月」が西の空に見えるのは夕方である。
譲って「新月間近の細い月」だとしても、そいつが見えるのは明け方の東の空だ。

何かの隠喩なのだろうか?


私が良く読む「極東ブログ」にも、この作品の書評があった。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/03/post_605b.html
私は「ある愛の詩」って映画も小説も見たことは無い。

で、その書評を読み『ライ麦畑でつかまえて』を思い出した。
主人公ホールデン・コールフィールドは、有名な詩(私は全然知らないが)を勘違いし、"The Catcher in the Rye"になりたいと言う。

「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」を『ノルウェー産の家具』ではなく、『ノルウェイの森』のままにした村上春樹だ。
「細い月」は深夜には出ないし、早朝の西の空にも出ない。
彼はそのことを知っているだろうという気がする。彼の文章が何を比喩しているのか、私には全然分からない。

以上です。

『SNOWFLAKE』 『small planet』

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最近、珍しく写真集なぞを見る機会があった。

ひとつは『スノーフレーク』という翻訳本。
公式サイト(の一部)
Amazon の書評

もうひとつは『small planet』というヤツ。
公式サイト
Amazon の書評

『スノーフレーク』は、職場の同僚(理科教諭)から借りたのである。
「こんな本、見たことありますか? オガワさんなら興味あるかと思って...」と、わざわざ貸していただいたのである。岩石鉱物学を専攻した私でもあるし、雪結晶の顕微鏡写真はとても面白いものだった。雪結晶の微細な構造は、見ていて飽きないものであった。
スキー場などで、空から落ちてくる「六角形の結晶」を見るだけでも結構感動するが、それを拡大すると「とんでもない世界」があることを知った。

『small planet』は、自分で買った。
新聞広告で「実物を撮影しているのに、ミニチュアのように見える写真」を何度か眼にしたことがあり、興味を覚えていた。その写真家の作品集を紀伊國屋書店新宿南店で発見した(ってか、目立つようにディスプレイされてた)ので、2500円(税抜き)も出して買ったのである。作者は本城直季って方で、検索するといろいろ出てくる。


どちらの本も巻末の解説までが勉強になった。
が、『スノーフレーク』の用語解説では「フラクタル」を「フラクタクル」って、間違って記していた。ご愛敬。

ま、私も最初は「フラクタル」ではなく「フラクタクル」で覚えていたケド。
話は変わるが"simulation"は「シミュレーション」であり、「シュミレーション」では無いはずだ。でも、私は最初「シュミレーション」で覚えていたッス。日本語を扱うヒトにありがちな誤読なのだろうか?


2009年8月追記 : 2009年1月には、こんな画像を作ってみました。
本城正樹 in 上海

ブックオフ万歳

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4月から放置してあった懸案事項が解決した。
「学級文庫の補充」である。

基本的に「よいモノはヒトの間を流れる」という認識があるので、自分が選んだ書籍が「文庫」から無くなるのは構わない。また、「本当に手元に置いておきたい本」は、教室なんかには置かない。

ブックオフはありがたい。文庫本が105円で買える。
「自腹&定価」で買った単行本を学級文庫に置く気は無いが、「無くなるつもり」で文庫本を買うには、ちょうどよい。領収書は効くのだろうか?
今日は「自分が読みたい本」も買ってしまったので、領収書は貰わなかった。
本屋は楽しい。背表紙や表紙を眺める時間があるなら。
次回は学級文庫用に領収書切ってもらおうっと。


今日補充した本は、以下の通り。

妹尾河童『少年H(上・下)』
さくらももこ『ももこのいきもの図鑑』
同『もものかんずめ』
吉本ばなな『キッチン』
スティーブン・キング『グリーン・マイル(1・2)』
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ(下)』
(以上すべて105円)

パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』
(ペーパーバック?の単行本850円)


ブックオフ荻窪駅北口店は大きい。
でも、よく考えたら、私が知っている別のブックオフは「阿佐ヶ谷南店」だけな気が… なにしろ、阿佐ヶ谷よりは荻窪の店舗の方が広い。

『少年H』は、全てのヒトに読んでもらいたい本である。私は「平和主義者」なのだ。「改憲論者」でもあるが。「戦争は良いこと無い」って痛切に思わせてくれる、妹尾河童氏は。
この本を「学級文庫」に買うのは、多分「4セットめ」である。無くなるってコトは、「読まれている」ってコトだろう。(この本についての追記あり:2007年11月)

で、「あったら良いなぁ…」って思って探し、遭遇できたのが『反社会学講座』なのである。
新品の定価は1500円。この本は手元に置いておきたい。学級文庫用に中古を探そうと思っていた。見つかった。思ったより高かったッス。
まっつぁん、良かったね。値崩れして無くて。(勝手に友人気取り)

で、今、公式サイト?を見てみたら、文庫化されることを知ったッス。

この本は、私の配偶者も「面白い」って言ってますから、本当に面白いです。
(論理性不全?)

もう7日前の日経朝刊に「家電リサイクル、料金前払い方式導入を断念」(魚拓)という記事の、「もっと長いバージョン」があった。


家電リサイクル法の見直しに関するこれまでの議論の中間的整理
http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g70718c03j.pdf
って文書がある。

そこの冒頭には

特定家庭用機器再商品化法(平成10 年法律第97 号。以下「家電リサイクル法」という。)は、平成13 年4月1日に本格施行されたが、同法では、「その施行後5年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」こととされている(附則第3条)。
とある。

あの法律、見直しが予定されていたとは知らなかった。

ま、私は最初から家電リサイクル法がきちんと機能するとは思っていなかった。巨大家電量販チェーンが、回収した家電を横流ししていたってニュースもあった。この現象は、起こるべくして起こったと言えるだろう。大体、企業は基本的に「金もうけ」のために存在しているのだから。

私自身は、法案の対象となる「エアコン・テレビ・冷蔵庫・冷凍庫・洗濯機」が不要になった場合、改めて処理代金を払えばよいと思っていた。液晶モニタを買った際も、リサイクル代の前払いなんてアホらしいコトはしていない。


かの有名な『きっこの日記』の6月24日には、以下の記述があった。先に言っておきますが、私はかのサイトの愛読者です。

<前略>
その日の夜は普通に過して、次の日の朝、目が覚めて、コーヒーを煎れるためにキッチンに行ったあたしは、大変な光景を目にしたのだった。ナナナナナント!冷蔵庫の周りに水たまりができてたのだ! それで、あたしは、慌てて冷蔵庫を開けてみたら、開けたドアの上からバシャッ!って水が飛び散った。次に、フリーザーのほうを開けてみたら、フリーザーの中の氷とかいろんなものがみんな溶けて、その水がボタボタと下に流れてたのだ。
<中略>
‥‥そんなワケで、次の日に、新しい冷蔵庫が届いたんだけど、今までのよりもひと回り大きくなった上に、環境にやさしいノンフロンだし、新型だから電気代も安くなるし、音も静かになって、メッチャ嬉しかった。
<後略>

この点、私は非常にツッコミを入れたかった。指摘のメールを送ろうかとも思ったが、その日記の本論(?)とは無関係だから、止めておいた。ってか、今ココでツッコミ入れてるけど。

「新しい環境に優しい冷蔵庫」を買った場合、電力消費量が少ないという点では確かに「環境に優しい」。しかし、冷蔵庫というのは、壊れた時点、つまり「冷媒のフロンを大気に放出してしまった時点」で、「地球温暖化」や「オゾン層破壊」に手を貸したことになるのだ。しかし、きっこ氏はそういう認識はないらしい。ま、ご本人も「理科は苦手だ」って仰ってるから、仕方ないことなのだろう。

「家電リサイクル法Q&A」ってページには、以下の記述がある。

Q9 エアコン、冷蔵庫に含まれるフロンはどうなるのですか。
A9 これらに含まれる冷媒フロンについては、メーカーがリサイクルをする際に併せて回収・処理されることとなっています。小売店には収集・運搬にあたり漏洩防止措置をとることが求められます。

ってか、普通、エアコンや冷蔵庫って、フロンを撒き散らすことによって、その一生を終われるのじゃ無いでしょうか? この「リサイクル法」って、詰めが甘い気がする。
大体、無理なリサイクルは地球に優しくない。「家電リサイクル法」は典型的な「法律のための法律」という気がする。


今日、職場で来年度のための「採用試験」があった。成り行き上、国語科の「模擬授業」に立ち会った。その授業に用いられた教材は、「街角のエコロジー」という文章だった。三島次郎という方の文章らしい。そのお名前、全然知らなかった。同僚のセンセ(50代後半)の世代だと、知らないヒトは居ないくらいの大御所なのだそうだ。
その方の本、そのうち読んでみようと思ったス。知的な内容でありながら平易な文章であり、抑制が利いていて判りやすかったからだ。

また、「未入手の読みたい本リスト」に1冊が加わった。読むために手元にキープしてある本だって、相当溜まっているのです。読めるのはいつのことだろう…?

訳者は垂水雄二という方らしい。
原題は"THE GOD DELUSION"というそうである。
直訳するなら『神という妄想』なのであろう。

リチャード・ドーキンスというヒトの名前は、前から知っていた。しかし、その著作(の日本語訳)は読んだことがなかった。昨年以来『神は妄想である』の書評を何点か眼にしており、面白そうだと思っていたので読んでみた。図書館への返却期限を2週間も過ぎてしまったが、読破した。

面白かった部分はたくさんある。しかし、含蓄に富んだ短文というと、ドーキンスによる「引用」になってしまうのだ。つまり、それらを引用すると「孫引き」になってしまう。あまり適切なコトでは無いだろう。なので、控える。

この本を読み、改めて認識した。私は多分、無神論者なのだろう。
初版の34ページから。

汎神論者(pantheist)は、超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない<自然>、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として扱う。

過去の日記に於いて、ワタシは上のような意味で「神」って使っていた、確かに。

とりあえず、ひとつ「へぇー」と思ったこと。
457ページから。

親類縁者を含めた一つの拡大家族全体にとって記念碑的な重要性をもちうる儀礼にしては驚くべきことに、カトリック教会は、どんな人間がどんな人間に洗礼をほどこすことも許していた(そして今でも許している)。洗礼をほどこすのは司祭でなくともいいのである。その子供も両親も、他の誰も洗礼に同意する必要がない。何一つ署名されることもない。何一つとして正式に目撃される必要がない。

その結果(?)19世紀半ばに、ユダヤ人の父母のもとに生まれた子が、知りあい(少し年上の女の子)に勝手に洗礼され、その瞬間から意図せずに「カトリック教徒」になってしまったがために、両親から引き離され(拉致され)、カトリック教徒として教育(監禁)される羽目になったのだという。
ワケが分からない。まあ、宗教による醜悪なデキゴトの極致として、この(結構有名らしい)事件が紹介されているのではあろうが。


リチャード・ドーキンスというヒトが、宗教に敵愾心を燃やすのは、以下の理由が最も大きいらしい。
451ページから。

より一般的に言えば(そして、これはイスラム教だけでなく、キリスト教にも同じようにあてはまる)、本当の意味で有害なのは、子供に信仰そのものが美徳であると教えることである。信仰は、それがいかなる正当化の根拠も必要とせず、いかなる議論も許さないという、まさにその理由によって悪なのである。子供に、疑問を抱かない絶対的な美徳であると教えることは、彼らに -手に入れることがむずかしくないいくつかのその他の要素が与えられれば- 、将来のジハードまたは十字軍のための潜在的な凶器(リーサル・ウェポン)となるべく育つ素地を与えることにほかならない。(中略)そして子供たちは、その教えを、かならずしも狂信的な過激主義者によってではなく、まっとうで穏健な、正統的な宗教指導者から教えられる。(中略)信仰とはきわめて危険なものになる可能性を秘めたものであり、罪もない子供の抵抗力のない心に、意図的にそれを植えつけるのは重大なまちがいである。

なるほどなぁ、という感じだ。
ワタシは宗教的に非常にいい加減な「現代日本」に生まれ育ったので、宗教の害というものに出会うことは少なかった。そして、特定の宗教を信奉しているわけではなく、普通に自然科学の勉強をしていったから、この本を手に取ったのだろう。

この本を読んでいる間、何度も「愛国心」教育や、「道徳」というモノについて、考えることになった。
かなりの大部であるが、面白い本である。

何かを分かち、ヒトは行く

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『プリオン説はほんとうか?』(アマゾンの書評へ)は、2週間くらい前に読みました。記憶に残るよう、2度読んでみました。面白かったです。
著者は福岡伸一という方です。

なお、この本の存在は発売当初から知っていたのですが、購入する機会が無かったのです。新聞か何かの書評を見て「面白そうだなぁ」と思い、「購入予定の本リスト」にはずーっと置いてあったのです。しかし、他の本を読むのに忙しかったのです。
この本を買う少し前に『生物と無生物のあいだ』という本を入手しました。そいつが面白かったから『プリオン説はほんとうか?』を買ったのですね。

「吉野家の牛丼に「脊柱付近の肉」が混ざっているかも知れない」というニュースを受け、タイムリーな気がするので日記に書いてみます。


今回のニュースの中には「境界線」が複数存在しています。それをいくつか挙げてみます。
・アメリカ合衆国の食肉加工処理業者の「安全な会社」と「いい加減な会社」の境界線
・肉牛からできた食肉の「危険部位」と「非危険部位」の境界線
・肉牛の「健康な牛」と「BSE を発症している牛」の境界線
・「BSE の主犯」の領域に入る「プリオン」と、領域外にある(らしい)「未発見のウイルス様物質」

『プリオン説はほんとうか?』を読んだ私なので、上記4つの境界線について「境界は曖昧とならざるを得ないし、線引き自体が無意味かも知れない」と思うのです。


この本を読み、初めて知ったのですが、スクレイピー(羊の海綿状脳症)には、複数の「株」があることがかなり以前から知られていたそうです。また、「BSE に感染した牛の肉骨粉」を摂取したことによるスクレイピーである「sheep BSE」は、それら過去に存在したスクレイピーとも異なる症状・病変を示すそうです。
つまり「海綿状脳症の原因はウイルス様のナニモノカであり、そのために可変性を持つ」との解釈もあり得るとのこと。

第6刷の180ページあたりから引用します。

病原体が可変的である、言葉を換えていうならば、新しい宿主や環境を求めて進化しうるのであれば、(中略) 病畜の臓器や部位を安全部位と危険部位に分ける考え方にも、より一層の慎重さが求められよう。なぜなら、これまで安全とされていた部位でも、増殖可能な変異体が出現する可能性はいくらでもあるからだ。現に、牛では特定危険部位とされていない脾臓は、羊スクレイピー病ではもっとも感染性(病原性)の高い部位の一つであり、マウスやハムスターでも同様である(この病原体がリンパ組織を初期の増殖の場としていることから考えれば、主要なリンパ集積臓器である脾臓がターゲットとなるのは当然である)。WHO が勧告するとおり、病畜はその個体全体を廃棄・焼却処分して、再び食物連鎖に入り込まないようにすることが安全対策上重要なのである。

なお、この本の中では「BSE の病原体は熱に強い」というのは、言い過ぎ(あるいは虚構プラス伝説)である旨の記述もあります。詳しくは実際に本を読まれると良いでしょう。


この本を読み、牛肉に対する私の認識は以下のようになりました。
「なるべく安全そうな牛肉をしっかり加熱して食う」ならば、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に罹ってしまうことは無いだろう、と。

で、当然のコトながら、私は好んで牛丼は食わないッスね。特に嗜好は変わっていませんケド。

今回のニュースを見聞きし、やはりヒトの営みすべては「線引き」でしかないと、改めて思ったのでした。


過去の関連する日記

ヒトの生きる理由
http://www.ariori.com/diary/2002/02/04/

他人事

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「首つり」が「お勧め」の「自殺方法」だというのは、『完全自殺マニュアル(ウィキリン)』を読んで知った私だ。おおよそ15年前の書籍らしい。

世の中の自殺者の大半は、きちんと「首つり」で死んでいるのだろう。にも関わらず、このニホンのマスコミは「硫化水素による自殺」ばかり取り上げ続けている。その裏には毎日100人近くの「名も無き」自殺者が居るのだろう。

特定の自殺方法ばかり取り上げる違和感は「練炭自殺」の際にも感じたことだ。練炭自殺のほうがまだマシだ。他人を巻き込む可能性が低い。

『誰が学校を殺したか』は、1992年9月10日に初版が発行されているらしい。最近手に取り、読んでみた。著者の夏木智氏は茨城県の公立高校教師であるそうだ。

この本は16年前の発行だが、その内容は現在も新鮮さを失っていない。いくつかの話題が扱われているが、特に、文部科学省が関わる「教員の資質向上」論の空虚さは、この20年近くずっと変わっていないということになるのだろう。

初版から何か所か引用する。

22ページ
もし本気でこの問題に取り組もうと思うものがいるなら、当然、まず、「望ましい教員の資質とは何か」という問題を議論するところから始めるにちがいない。(中略) そのことに関してはろくな議論もしないうちに、「どうすれば資質が向上するか」という具体的方策に関する議論にばかり熱中しているのだ。

40ページ
(初任者研修制度で)新規採用者を「指導」するのは、今の学校のあり方をつくってきた人々である。(中略) 彼らは人に指導できるくらいだから、今までもずっと教育にたずさわってきたにちがいない。とすると、彼らが教育にたずさわってきたこれまでというのは、きっとすばらしい教育ができていたにちがいない。なるほど、今までのすばらしい教育の水準を保つために、大金をかけて初任者研修制度を導入したというわけなのか。

44ページ
私が唖然とさせられたことがある。それは、多くの学校で初任者研修を実施するために新規採用者およびその指導教員が受け持つ授業時間数を減らし、そのぶんを大学を卒業したばかりの時間講師が穴埋めしているということだ!(中略) 新規採用者が立派な教師になるために研修を受けている間、時間講師に授業を担当される生徒はどうなるのだ。それとも授業など、誰でもできる重要性の低い仕事にすぎないとでも言いたいのか。そもそも、こうしたことをまったく気にとめる様子さえもない初任者研修制度とはいったい何だったのか。

現在、徐々に「教員免許更新制」のための講習というものが、その姿を見せてきている。
「押しつけられる研修の不毛さ」ということについて、既にこれだけ論点のはっきりした「現場からの論評」があったわけだ。にもかかわらず、官製研修はどんどん増えている。と、言っても私の勤務先は私学であり、噂を聞く限り、公立よりはマシであるようだ。
しかしまた、世の中の学校の大半は公立学校だ。他人事として傍観するのも忍びない。ので、日記に書いている私がいる。

私は「教員免許更新制」よりも「不適格教員の排除」をきちんと行うべきだと考えている。これは以前にも当サイト上で表明したことだ。

また、夏木氏は理路整然と「コネの重視によってもたらされる、教員の質の低下」について述べている。

36ページ
多くの論者は、今の教員採用試験が、教員志望者にペーパーテストを課し、その成績にもとづいて採用者を決めるというやり方を、「ペーパーテスト偏重で、テストではいい点を取れるが、人間味のない教員が採用される結果になっている」といった言い方で非難している。(中略) 実際の教員採用試験の方法が手直しされ、ペーパーテストの比重が下がり、たとえば「面接の重視」というようなことが実施されたとしよう。起こることは何か。一番、楽観的に考えて、面接官の好みにかなった人間の採用である。(中略) もし、教員を選ぶ側の主観だけにもとづいて選んでいいとすれば、間違いなく「コネ」が横行することになるだろう(中略) そうなれば、確かなことは、教員としての資質とはまったく別のところで教員の採用がなされるわけだから、結果としてむしろますます教員の資質が低下するということだ。

56ページ
不思議なことに、人々はこうした(コネという)問題にあまり関心がないように見える。教員の資質向上を論じながら、一方でこうした議論にあまり乗り気でないというのはどういうわけなのか、私には理解できない。もし教員の資質向上を本当に望むなら、この問題こそまっさきに論じなければならない問題ではあるまいか。

57ページ
コネを使ってでも教師になろうと思うのは、彼が提供できるサービスよりも多くの報酬を得られるからにほかならない。つまりコネで教師になった人が日曜日にも出勤するのは、彼がたとえそうしてもその給料に見合ったサービスを提供できないからにほかならないのである。コネを使って教師になる側にも選択の自由があることを忘れてはならない。コネによる採用は間違いなく資質を下げるのである。

文部科学省の官僚や、教員の生殺与奪の権を握る地方自治体教育行政の「お偉いさん」などは、この本を読むべきであろう。さらなる「殺し」を行い、結果として自分の首を絞めないために。
また、日本というクニを少しでもマシなものにしていくために。そう、若い頃の理想を思い出すのだ。


この本を読み、検索して知った。作者の夏木智氏は『誰が教育を殺したか?』という作品を一昨年に出しているようだ。そちらもいつか読んでみようと思う。

本を読み、老化を知る。

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先日、テレビで『地下鉄(メトロ)に乗って』を放映していた。映像を見るのは初めてだが、原作は読んだことがある。浅田次郎という方の作品だ。
私が浅田次郎というヒトの作品で読んだことがあるのは、この『地下鉄に乗って』と短編集『鉄道員(ぽっぽや)』しかない。『地下鉄に乗って』は文庫1冊に長編が1本が収まっている。

私は『鉄道員』の方を先に読んだ。私はほとんど映画を見ないが、それに比較すれば「映画の原作」に触れることは多い。特に目的の本が無く、本屋をだらだらと流しているときに「映画の原作」はちょうど良いのだ。『鉄道員』は自分で買ったが、『地下鉄に乗って』は配偶者から貸してもらった。

『地下鉄に乗って』を読み終えての感想は、以下の2点だった。
・『鉄道員』に似ている
・おもしろいものの、今ひとつ洗練されていない

文庫巻末の解説を読み、「メトロ」が「ぽっぽ」よりも先に発表された作品であることを知った。私の感覚はある程度正しかったようだ。私は作品を読むだけだから、何とでも言える。作品代を払ったし。もちろん「書け」と言われても、浅田次郎氏のようには書けないだろう。

この間、実家に帰った際に、古い文庫本を何冊か持ち帰った。「学級文庫」に置こうと思って。
気になっていた村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』を、まずは読んでみた。何となくだが、高校1年生のクラスに放置するのは憚られる気がした。

で、次に太宰治の『津軽』を読んでみた。最初に読んだのは、高校の頃なのだろうか。あるいは大学に入ってすぐかも知れない。
津軽半島へは大学1年のトキに、徒歩旅行のサークル(東京学芸大学伸歩会)で訪れたのである。

青森市から津軽半島の日本海側に位置する金木に抜ける際、途中に水場が無く、部員全体が超脱水状況に陥ったりした。その際、ヨシイクゾーの白い宮殿も見た。
そのサークルに入って最初の本格的な合宿であったし、有名な観光地を巡ったこともあり、非常に印象に残っている。十和田湖の南から・奥入瀬・酸ヶ湯・八甲田山・青森・金木・小泊・竜飛と、7日かけて200km超を歩き通した。
歩いたからこそ、地理的関係が頭に入っているのだ。今回再読した太宰治の『津軽』という小説(紀行文?)の印象が、それほど頭に残っていなかったのは、私が津軽を訪れる前にこの本を読破したからだと思われる。
知っていれば、金木や小泊で、太宰治に関わる旧跡(?)を訪れたのだろうと思う。

大概の読書家にもそういう時期があるだろうと想像するのだが、私は「古典」と呼ばれる作品をひたすら数だけこなしていった時期がある。本棚が埋まるのが楽しいのだ。作品が終盤になると、半ば義務感からページを繰るようになっていたのだろう。『津軽』の終幕はほとんど記憶に残っていなかった。

今回改めて「本棚に入りっぱなしだった本」を読んでみると、自分が老化したせいもあろうが、作品について認識を新たにすることが度々あった。『津軽』を最初に読んだのは18歳前後だろうし、『回転木馬のデッドヒート』は20代になりたての頃のハズ。
どちらの作品も、その頃の私よりは、現在の37歳の私に似つかわしい気がした。


私は貧乏症なのだろうが、単行本を買うことはほとんど無い。文庫は軽いし安いし、ある程度評価された作品なわけだし。そして「解説」が付いている点も好きである。解説者と作品を共有できるような感覚が得られる。解説のない単行本の潔さも良いが、文庫の方が様々な点で好きだ。

本日、『人間失格』を読み終えた。この作品を読むのは数度目である。
かなりナルシシズムが鼻についたが、高校生のトキはそんなに気付かなかった。


『津軽』と『人間失格』は一応学級文庫に置くことにした。

希望的観測

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この間読んだ『津軽』は、妙に「注」が多かった。多すぎる「注」というのは、結構うざったいものである。
しかし一つだけ、有意義な情報が得られた。日記の表題「希望的観測」という語、これは先の大戦(いや、私はどんな大戦も、身近に体験したコトなどありませんが)あたりから使われ始めたヤツらしいこと。

新潮文庫版『津軽』巻末の注から引用する。私が持っているのは平成3年8月15日の七十五刷。

「希望的観測」 戦時下、戦況に関してよく使われた言葉。

この文庫は初版が昭和26年8月31日に発行されたようだ。その頃、「希望的観測」という語は、市民権を得ていなかったということなのだろう。わざわざ注として書かれているくらいだから。

「希望的観測」という語、日常生活でも、聞かないことは無い。ニュースならば、比較的使用される語句だろう。そんなありふれた語が戦争に由来していたとは知らなかった。念のため、この語について2,3の辞書にも当たってみた。しかし、いつ頃使われ始めたかは書いてなかった。
三省堂の『例解新国語辞典 第七版』は、私が「希望的観測」という語について、この腐れ日記に書こうとしたことをズバリ書いていた。

きぼうてきかんそく【希望的観測】(名)
こうあってほしいと、かってにおしはかること。[用例]景気回復は、政府の希望的観測にすぎない。

日本というクニは「戦後最長の好況が続いている」とか聞くが、これは全くの「希望的観測」つまり嘘っぱちであり、大昔の軍部が行った「大本営発表」と、何ら変わらないんじゃ… って、書くつもりだった、この辞書を見る前から。
そういえば、渋谷のスペイン坂では「やんごとなきお方」が、人通りの絶えた早朝にスタジオ入りしているという噂が。どうも「戦後最長の好景気は嘘だった」って内容のテープを作成していて、放送予定は8月15日だとか…

冗談はさておき、経済関係では「弱含み」みたいな気持ち悪いニホンゴを見たりする。ああいうのは、そのうち定着するのだろうか? 何しろ、コトバというのはどんどん変化していくものなのだというコト、「うざったいほど大量の注」から分かった。

根津公子氏(ググリンク)の著作『希望は生徒』を読んでみた。

読んでみたが、「学校という場に於ける国旗・国歌」に関する私の見解には、特段の変化はない。根津氏にとっては残念なことであろう。根津氏の意見は意見として尊重するが、公務員としてはフテキセツな人物なのではないかと思う。
私は、「国旗・国歌」に「敬意を払う」のは、地球上に棲むヒトの基本だと思うのですねぇ。もちろん、日本のヤツに限らず。

その自伝?の中では、唐突にお子さんが生まれていた。(恋愛や)結婚式についての記述は全く無い。
17~18ページから引用。

一九七一年、二〇歳の時、私は東京都江東区立大島中学校に赴任しました。
(中略)
家庭科の授業だけでなく、一年目は一年生の学級担任もさせてもらいました。
(中略)
家庭科の授業は、家庭科教育者連盟の学習会や合宿に出かけたり、半田たつ子さん編集の雑誌『家庭科教育』を読んだり、また生徒の要求を聞いたりして、試行錯誤をしながらつくっていきました。「男女の平等」については、日常の言動を折に触れて取り上げ、意識的に問い返しをしていきました。
一九四七年(原文のまま:この本は図書館で借りたのだが、誰かがきちんと「七四年」に校正していた。笑える)四月、第一子を出産。

彼女、「国旗・国歌」(への盲従)は嫌いなようです。
しかし彼女、私が思うに十中八九、神前式で結婚式を行っていますね、時代が時代だろうし。彼女は「日本古来の神」か何かに誓ったハズ。その事実を葬り去りたいからこそ、この自伝では自身の「結婚」について、何も触れていないのだろう。
無神論者の私は、彼女の行動を疑問に思います。

そして、結構面白い記述を見つけた。
ちょっと長くなるが、51ページから引用。

石川中へ移動した一九九〇年四月は、学習指導要領の「日の丸・君が代」条項の先取り実施の年でした。勤務二日目の職員会議での議題の一つに「入学式について」がありました。すでに決定されていた「日の丸・君が代」の取り扱いについてなぜ実施することになったかを質すと、返ってきた答えは、「校長が『実施する』と言うから」でした。誰も責任を感じないこうした運びは往々にしてあることですが、私はこれに黙っていることはできませんでした。「校長が、ではなく、みんなで話し合い、責任を持って決定しようではないですか」と訴えました。すると流れが変わり、決定した議題が差し戻され、論議がされました。そうして採決した結果、「君が代」斉唱はしない、「日の丸」は掲揚するとなりました。そして、その年度の卒業式には「日の丸」も「君が代」も実施しないと決定しました。一九九〇年度から学習指導要領が先取り実施されるなかで、石川中では、それまで実施してきた「日の丸・君が代」を取りやめていったのです。

「それまで実施してきた」のだったら、そのまま実施しておけば良かったと思うんですよ。何かが彼女を突き動かしてしまったのでしょう。転任早々会議で出しゃばれるなんて、スゴいと思います。
それ以降、根津氏などがいろいろと頑張ることにより、東京都教育委員会による学校の締め付けも強化されていったのだと思うのです。無理に波風を立ててしまったことにより、結果的に自分たち(東京都公立学校教員)の首を絞めてしまった気がしてなりません。


「怪しい教員」というと、大阪の方で「新任だけど免職されそうだ」ってなニュースを見た記憶がありました。
Birth of Blues 経由で、そのヒトが井沢絵梨子というお名前だと知りました。「大阪市新任教員免職撤回裁判」というページ群を見たのですが、その中のページの一部は思いっきり".doc"で放置してありました。
少しそのドキュメントを眺めてみましたが、あまり面白いものでもありませんでした。リンクは貼りません。

"労組系"の方々がネット上で活動する場合、「ワードファイルでの主張がデフォルト」なのでしょうか。根津氏の場合もそうでした。大変に不思議です。職場で「零細クミアイのイインチョー」をやってる私も真似してみようかな。

根津にしろ、井沢にしろ、教員なのだったら、「自分の言いたいことを伝える」という作業に、もっと真剣であって欲しい気がします。「ワード放置」じゃ、普通のヒトには多分伝わりませんね、何か言いたいことがあったとしてもさ。

Change the World

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世界は変遷を続ける。私が生業としている「教育」ってヤツは、その触媒として存在していると考えている。

ニホンの場合、その目的は以下の通りらしい。
教育基本法から。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


今日は本の話。

この本は世界を確実に変えたのだろうなぁ...ってヤツ、いくつかある。ってか、とりあえず2つ思いつく。
文学作品は、マイルドに世界を変容させるが、ノンフィクションやルポルタージュは、文学作品に比べると、世界をゴリゴリと変えていく気がする。


例1 高柳 泰世 『つくられた障害「色盲」』

高柳氏の著作、単行本は1996年5月に出版されたようだ。
私は以前も記したが、生まれ年によっては、教育学部にすら入れない可能性もあったようだ。そんなこと、全然知らなかった。高柳氏を中心とした勢力が、地道に運動を続けてくださった結果、徐々に「色覚」に関する入学制限が撤廃されていったのだろう。私は「のほほん」と大学へ入った。この本を読み、私は素直にありがたいと思った。高柳氏がいらっしゃらなければ、私は此処にはいないのだ。間違いない。
この本は、しばらく書店を探していたのだが、発見できなかったので、昨年4月に Amazon で購入したのだった。Amazon での書籍購入初体験であった。読んだのは夏休みだったかな?


例2 村上 春樹 『アンダーグラウンド』

この本は、本日読み終えた。村上氏の著作は、昨年末まで「物語」か「旅行記」あるいは「エッセイ」しか読んだことがなかった。
何となく『アンダーグラウンド』は避けて通ってきたのである。とりあえず分厚い(つまり高価である)し、オウムを含めた宗教にはあんまり興味がないし。また、私は勝手に「村上春樹というヒトはノンフィクション(ってジャンルで良いのかしら?)に似つかわしくない」なんて思っていたからでもある。
で、『アンダーグラウンド』、ブックオフかどこかで眼にしたので、昨年秋に買ってみた。
彼の誠実な伝達作業によって、何かが救われ、何かが新たに始まり、多分微かに何かが損なわれたはずだ。なお、「損なわれる」というのは、村上氏が作品の中で、よく用いるフレーズである(と思う)。

私は、決して、オウムを「対岸」とは思わない。それは、過去に日記で書いたとおりだ。最低でも1億数千万分の1以上、つまりニホンの構成員の一人として、その形成には責任があると思っていた。

私は、そこそこ村上氏の作品は読んでいる。
この本を読み進めていると、時々『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が思い浮かんできた。「あとがき」(なのかな?)を読むと、筆者もそういった思いを抱きつつ、この本を作ったようだ。
村上春樹の愛読者なら、この本 "も" 読んだほうが良いと思う。読み物として面白い。

「あとがき(?)」では、彼自身「何故、小説を書くのか」という点を自問自答していた。その解答(?)にスティーブン・キングとの類似性を感じた。
当然(?)だが、私との類似性はあんまり無い。私は一応、教員としては生きてる、今のところ。そして、小説家になるのは難しそうだと、改めて思った。


『約束された場所で―underground 2』とやらも、「読む本リスト」に加えた。

先日、やっと『利己的な遺伝子』の一番新しい版である「増補新装版」を読み終えた。この「増補新装版」は、初版刊行30周年記念として、作成されたものだそうだ。日本では2006年に発行されていた。
職場の図書館に買ってもらい、一番に読ませてもらった。

一言で感想を言い表すと「概念"利己的な遺伝子"というミームは、自然科学を勉強してきた私に、しっかりと根付いていた」というところだろうか。
書物その他によって生物学を習得する過程で、30年前にドーキンスが発表したような「生物体と遺伝子に関する見方」は、私の中に何の違和感もなく存在していた。この本を読むことによって、その「見方」がさらに整頓された。

当初、この書籍が目指したことの一つに、「"群淘汰"という概念の廃絶」があったようだ。私は高校時代、その語を教科書か資料集で見た記憶がある。腑に落ちなかったので、記憶に残っていた。
この本を読む少し前、この講演録(pdf)を拝見し、やはり「群淘汰」という概念は間違っているのだろうと認識した。


xvi ページから始まる「1989年版へのまえがき」の一部にあるドーキンスの言葉が、この書籍の「評価」を端的に表しているように思える。なお「下線部」には、傍点が付してあった。

この本は、(中略) 最初から書評は心地よいほどに好意的で、これが論争的な本だとは、最初は見られなかった。何年かのうちにこれは大いに問題をはらんだ本だという評判が高くなっていって、今では過激な極端論の著作だと広くみなされている。けれど、この本が極端論だという評判が広まっていったその同じ年月の間に、この本の実際の内容は、次第、次第に極端なものとは思われなくなり、次第、次第に当然なものとして通用するようになってしまった。

その「いざこざ」のために、私が前回読んだ『神は妄想である』が書かれたのだろうと思った。
『延長された表現型』が、著者ドーキンスのお奨めであるらしいが、ホントにまた暇になったら読もうと思うのであった。


遺伝子というと、つい最近、こんな話がありました。
女王シロアリの後継は"分身"、交配せずに産卵...岡山大確認
念のため(すでに誰かが取得なさっていた)魚拓

老婦人殴殺物語で感想文、新入生に宿題...愛知・私立豊川高


 愛知県豊川市の私立豊川高校の男性教諭が、6日に入学式を迎える新1年生約200人に対し、春休みの宿題として、少年が老婦人を殴り殺す架空の物語について感想文を書かせ、一部の保護者から「子どもには内容が衝撃的すぎる」と、抗議を受けていたことが4日、わかった。

 学校側は、不適切だったとして、男性教諭ら教諭全員に注意した。

 男性教諭が最近、受講した外部の教職員研修会の教材を使用。両親を失った幼い兄妹をふびんに思ってパンを与え続けた親切な老婦人が、さらに多くのパンを求めるようになった兄になじられ、最後に殴り殺されるという物語で、教諭は、研修会と同様、命の尊さや他人を思いやることの大切さを考えてもらおうと、題材に選んだという。

 相馬三孝教頭は「まだ人生経験の浅い1年生に出す宿題としては、適切ではなかった。生徒の気持ちに配慮した指導を徹底したい」と話している。

(2009年4月4日20時10分 読売新聞)


10日前だが、新聞を読んだ瞬間、ピンと来た。
元ネタは、夏木智『誰が学校を殺したか』である。(アマリンク)

Amazon 内に、自分が書評を書いていたコト、忘れてた。
日記内の正式な(?)書評はこちらである。


「老婦人撲殺」は、巻末に収まっていた寓話だ。

「老婦人」が「教員(=学校)」の比喩であることは間違いない。
「人殺しの兄妹」は、クニであり、キョーイクイインカイであり、モンスターペアレンツであり、マスコミなのであろう。

その「比喩的な寓話」は印象深かった。本の締めくくりとして優れている。短編であるが、単体でも鑑賞に値する「考えさせる物語」である。高校1年に読ませたって、全然悪くないと思う。夏木智氏も、気合いを入れて作成したのだろうと思う。


しかし、今回のニュース。
物語を読まされた高校生は、課題を出した教員のキャラクターも良く知らないハズ。「外部の研修」で紹介されたヤツを、そのまま作文の課題にしちゃうなんて、安直に過ぎるのではないかと思う。その高校の教頭が言うように、他にいくらでも「適切な教材」があるだろう。


駄文作成してたら、ある記事を思い出した。
NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 教育を語ること

乾杯ウコンEX

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「乾杯ウコン」ググリンク

は、このような「薬物(的なもの)」を嫌っていた。

しかし最近、この「飲む前に飲む食品」を愛用しています。節操がなくて済みませんが、明らかに酔わなくなったッス。これはマジです。有名な「ウコンの力」は試したコトがありません。

宴会の最初、「とりあえず」ビールと一緒に飲んでます。


薬と言えば、『進化から見た病気』を読み終えました(アマリンク)。この本も、職場の図書館で買って貰い、一番に読ませて頂きました。面白かったです。

著者のブログ『5号館のつぶやき』は、いつからか愛読しています。どれだけ「RSSリーダー」に未読が溜まろうとも、このブログだけはきちんと読んでいるように思います。何というか「私と感性が似ている」んじゃ無いかと、勝手に思っています。


で、ちょっと前、上記ブログに「ウコン」についての記事がありました。

5号館のつぶやき : 万能薬ウコンの謎が解けた

上記記事や、そこで引用されている論文が、果たして正しいのか、あるいは胡散臭いのか、それは私もよく分かりません。でも、「クルクミンが細胞膜に作用する(らしい)」ってコトを知り、何となく「なるほどなぁ」って思ったのは確かです。


私が「乾杯ウコンEX」を知ったのは、配偶者の従姉妹の配偶者(上海在住)から、「(日本の)お土産に買ってきてくれ」って依頼されたのがきっかけです。
その彼は、以前にたまたま上野でこいつを買い、劇的に効くコトを知ったのだそうです。カプセルだから、持ち運びも便利。


おみやげに5パックほど買ったとき、自分用に1パック買ってみました。
職場の飲み会で、「飲む前に飲」んでみました。飲んだ量のワリには、気分の悪さや「ヘベレケ感」は無かったッス。それから愛用してます。


後日談?

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のペーパーバック版を最近読み終えた。『ライ麦畑でつかまえて』じゃなくて、村上春樹の訳の方だ。
村上春樹訳のハードカバーも、発売当初に買った。

『ライ麦畑でつかまえて』は、「がっきゅーぶんこ」に置いておくコトにしている本なのだが、度々無くなる。今も無い状態が続いている。

今回は新しい「村上春樹版ペーパーバック」を置こうかと考えたのだ。しかし、まずは自分が一度読まないと、もったいない気がしたので、読んだ。
このサリンジャーの『The Catcher in the Rye』は、私がもっとも繰り返して読んだ物語のハズだ。

新潮文庫には、同じサリンジャーの、他の作品がある。
『ナイン・ストーリーズ』はまだしも、『フラニーとゾーイー』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』の記憶が、ほとんど無いのですね。
今、Amazon の書評を見てみたところ、改めて『フラニーとゾーイー』は読んでみようかと思った。今度、実家から拾ってきましょう。しかし、なにしろ『ライ麦畑』は、他の作品に比べ、頭抜けていた記憶がある。

結局、ペーパーバック版は、キレイでもったいないので、とりあえず手元に置いておくことにしました。
また、古本屋で「がっきゅーぶんこ」用を買うことにします。


で、何でそんなことを書いているかというと、以下のサイト(どちらも昨日作成された)を見て、主人公ホールデン・コールフィールドの主張を思い出したからである。彼は"Good luck!"という挨拶が嫌いらしい。

H-Yamaguchi.net: 「お祈り」する人、される人

Diary or Notes: 「さようなら」 そうならなければならないなら・・・


「お祈り」というコトバの新しい意味は、初めて知りました。

ようこそ」とか「ありがとう」の意味は考えたことがありましたが、「さようなら」は気付かなかった。
かなり奥が深いコトバだったのですね。

雷雨のランゲルハンス島

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本年度は、1週あたり16コマの授業を担当している。
2コマ連続×8クラス。楽と言えば楽である。1種類しかないというコトで。

で、本年度も昨年度も、土曜日はほとんど潰れないのである。
積極的に学校行事を突っ込んでしまえば、他の曜日との時間差も減るのかも知れないが、学園祭が入っているくらいで、ほっとんど潰れない。

簡単に「自習」としてしまうのは、教員としての自覚に欠ける気もする。しかし、特定のクラスだけ様々な授業を行うというのも、他のクラスの生徒に悪い気がする。って、言い訳か?


私の職場だけの表現かも知れないが、一応1週間以上前から「売りに出」してみた。
1コマだけ売れた(他の教員が、元々私が授業を行うべき時間に、代わりに授業を行った)が、3コマはそのまま自習としてしまった。

まぁ、生徒と私の利害が一致したとも言えよう。


ホームルームの担任をしていると、毎日毎日「学級日誌」を見ることになる。
そこには「どのような授業を行ったか」が書かれている。
歴史やら数学やら、理科ならば、だいたい想像はつく。体育や家庭科も然り。国語の古典もだいたい定番は決まっている。
しかし、英語(のリーディング)などでは、時々「...どんな内容?」って疑問に思うことがある。英語の先生って、大変だと思いますね。英語という言語と一緒に、その教科書で扱われている内容についても、理解が必要となる場合があるようだ。私は時々、科学的な事項について、英語科のセンセイなどから質問を受けることがある。

そして、「学級日誌」を見ていて最も疑問に思うことが多いのが、現代文である。

そんなわけで、「自習監督」となったヒマな時間、私によくやるコトに「生徒が使っている、現代文の教科書を借りて読む」がある。


ここしばらく、学級日誌には「平気」って文字があった。
「平気」って何スか? って、ずっと思っていた。
正岡子規にまつわる文章だった。作者は失念しました。知らないヒトだった。使われている教科書は、東京書籍のものでした。東京書籍は割と好きです。
現在、勤務先の中学理科の教科書は、私の趣味で東京書籍にしたッス。地学の教科書も、勝手に東京書籍にさせてもらった。実は、高校地学の教科書としては、採択率はそれほど高くないらしいですけどね。私は東京書籍のヤツが好きです。

で、「平気」が何か判明したので、ぱらぱらと目次などを眺めてみたら、「村上春樹」の文字が目についた。
入っていたのは『カンガルー日和』だった。

サリンジャーの"A Perfect Day for Bananafish"は『バナナフィッシュにうってつけの日』あるいは、『バナナフィッシュ日和』と訳されている。"BANANA FISH"ってマンガ、大学時代に中学校社会科の元ラガーメンのマンガ好きの先輩に借りて読ませてもらった記憶がある。面白かった記憶はあるのですが、最終的な結末が全然記憶にありません。ま、どうでも良いけど。

で、私もあやかって(?)『ホニャララ日和』って文章を書こうかと思ったが、あまり小説風なものは思いつかないのだった。で、この文章がダラダラと続いている。


話は東京書籍の『現代文』に戻る。
パラパラとページをめくると、怪しい(と私は思う)科学者の茂木某の文章があった。
ま、文章はどうでも良いのだけど、その挿絵が安西水丸のものだったのだ。ペンギンが書いてあった。

同じ本に村上春樹と安西水丸が同居しているなんて、『ランゲルハンス島の午後』その他の作品みたいだと思った。さすがに『カンガルー日和』には、安西氏の挿絵は合わないのだろうと思った。
純粋に文字だけで想像する方が、『カンガルー日和』に「うってつけ」だろう、高校生が読む教科書としては。

国語の教科書、現代文の物語文に挟み込まれる発問って、どうしてもみんな愚問に見えてしまう。『カンガルー日和』の場合も例外でなく、きちんと所々に問題(?)が書いてあった。
「彼女の心情は、どのように変わったか」なんて書かれていた気がする。「どうでもいいじゃん」って思っちゃうのですね。小説ってのは「なにか読ませるところ」があり、何かが澱(?)として読者の心に残れば、それで良いと思うのです。
私は『カンガルー日和』のための「定期テスト対策の勉強」はイヤだなぁ。

なにしろ、私は高校時代から、もしかすると中学時代から、「現代文はだりぃなぁ」って思いを抱いていたような気がする。
取り上げられている文章自体は、どれも「読ませる」ものが多く、面白いと思いますよ、現代文の教科書は。ただ、発問がねぇ...。
ま、国語科教育学は詳しくないから、突っ込みはこの辺で終了。


で、どうでも良い個人的な話になるんだけど、ってか、元々、例によってどうでも良いコトしか記していないけど、『ランゲルハンス島』に関わる私の履歴を記してみる。

多分大学時代・・・・『ランゲルハンス島の午後』中の、「女子高校生の遅刻について」が印象に残る。
大学卒業後・・・・予想だにしなかった女子校勤務が始まる。
その後・・・・予想だにしなかった「生物の授業担当」となり、「ランゲルハンス島」が何ものなのかを、ある程度正確に知る。
今・・・・勤務先では、学校に忍び込んでいる子もいるのかなぁ...。 私は知らないなぁ...。

この「履歴」話は、前から日記に書こうかと思っていて、しかし書いていなかったコトなのですね。
私は、高校~大学では、「物化生地」中では、生物が一番興味なかったです。当然「ランゲルハンス島」が何かも知らなかった。
今は、生物学は面白いと思います。


過去の関連する日記
もしも月がなかったら ←東京書籍の本の題名

日蝕・キューバ・ウォシュレット

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東京の阿佐ヶ谷からは、日蝕が見られなかった。ま、基本的に職員室に籠もっていたわけではあるが。

「勤務先に国語科の非常勤講師として勤務なさっている、数年前にヨーロッパに出現した「ピアノマン」に似ている、キューバかぶれで複数回キューバを旅した、主たる勤務先が予備校の御仁」お勧めの本を読破した。面白かった。キューバに行ってみたくなった。
戸井十月『カストロ、銅像なき権力者』←アマリンク

職場でウォシュレットを使用中、「ずっと同じウォシュレットを使い続けていたら、体に歪みが生じるかも知れない」って気付いた。
ウォシュレットって、水流を肛門に当てる必要がある。しかし、経験上その水流は、必ずしも便座の中心から出ているわけでは無さそうだ。しかしまた、どの程度水流が左右にぶれているかは、確認する術がない。透明な下敷きでも使えば、その水の出る様子を確認できるかも知れない。しかし、それを試す気もない。
証明写真を撮るとき、カメラマンに「頭がちょっと傾いていますねぇ~」って言われるのは、もしかすると、自宅のウォシュレットのせいかも...

既に10日前の話です。
私が参加を決めたのは、この一節によります。

当館が指導者向けに貸し出している標本を用い、その利用法について解説します。


セミナーの最後に実習を行いました。
標本はそれなりに頑丈に作ってあるようですが、それでも中学生や高校生、30数名(1クラス)に手渡すのは恐ろしいと思いました。
セミナーの場では、主催者の側から「標本を机の上に落とさないでください」っていうアナウンスがありました。にも関わらず、バッチリ標本に衝撃を与えていらっしゃる方が居ました。理科の教員すら、そんな状態です。生徒じゃ、まずダメでしょう。私は職場の生徒に壊してもらえる自信があります。
意識が高い生徒が集まる選択授業か何かだったら、使い途もありそうです。

貸し出しは以下のサイトで行えるそうです。
各種手続き・報道関係資料 ≫ 学習用標本貸出 :: 国立科学博物館

セミナー中、主催者の側から「これらの標本の貸し出しは無料です」という話がありました。
終了間際の質疑応答で、「送料はどの程度ですか?」という鋭い質問がありました。私は借りようと云う気も無くなっていたので、そんなことは考えていませんでした。
博物館の方曰く、「重さにも依りますが、およそ往復で7000円前後かかります」とのこと。費用高すぎ ...orz


そのセミナーの場で頂いた資料の一部と同じものが、以下のサイトにあります。
高等学校生物教育のための人類学知識の参考資料
昨日、やっと読み終えました。


そのセミナーで一番「なるほど」と思ったのは、以下のコトバです。

進化とは...
生物集団内で世代を超えた 遺伝子頻度変動の連続課程である

そのフレーズを教えてくださったのは、太田博樹センセイという方です。
生物をある程度勉強してないと、上に示した文は、全然意味が分からないものだろうと思います。と、勝手に偉ぶる。


遺伝に於ける「中立説」というものを唱えた、木村資生(きむらもとお)って方の著作に『生物進化を考える』という新書があります。(アマリンク)
私の職場のセンパイに、生物が専門の先生がいらっしゃいます。その方の「授業プリント」か「研修報告(夏休みのヤツ)」に「参考文献」として挙げられていた記憶があります。生物学に弱い私は、先輩の勧める本を買って読んだわけです。10年以上前。
この本は、高校レベルを超えた「遺伝」を知るには良いと思います。教員生活初期に読んで良かったと思います。
この本を読まねば、ドーキンスの本も、今回のセミナーも、浅い理解で終わったハズです。


この研修会を知ったのは、やはり「都生研」経由でした。
NHK 学校放送の「生物」に出演なさったことがあるセンセイが、複数名いらっしゃいました。有名人に会った気になります。

T先生と梶井基次郎

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過去のT先生語録は以下のとおり。

その1・2
その3
その4


暦の上では冬らしいですが、秋口(夏休み後半)にお会いしたT先生とのやり取りを記します。

T先生に最初にお会いしたのは、もう15年前のことです。私が今の勤め先で専任となった年ですね。私の勤め先は、ソフトボールの試合ができるグラウンドがありません。それこそ毎週末、さまざまな場所へと出向いていました。勤め先の先輩に連れられ、T先生の勤める学校のグラウンドに行きました。なお、その思い出のグラウンド、現在は無くなっています。

私の職場のソフト部顧問の先輩と、T先生とは同い年です。また、どちらもかなりな酔っ払いです。そして、同じ国語科担当という事もあり、かなり仲良しだったわけです。そこに私なども混ぜてもらっていました。


T先生は、私が幾度か「T先生語録」として、上に示したような駄文を披露していることを、知っていらっしゃったようです。この夏も「オガワちゃん、俺のことなんかプロフに書いてんなよ」とおっしゃってました。この腐れページ群を「プロフ」と表現するところが、女子高生っぽいと思いました。女子校に勤めるT先生にとって、一番身近なネット環境と言うと「プロフ」なんでしょう。


勤め先の高校の「現代文」の教科書は、梶井基次郎の『檸檬』が収められています。ちくまだったかな? 私が最初に梶井基次郎ってヒトの文章に触れたのも、高校の現代文の授業でした。『檸檬』は定番なようですね。

今年の夏休みに入ったころ、例年のごとくT先生に会うことを思い出し、短編集である『檸檬』を、改めて読み始めました。T先生は、国文学科出身だそうです。以前に、卒論だか修論だか、あるいはその両方で、梶井基次郎について書いたと聞きました。

短編集を読んでいて、この一節が目にとまりました。
『橡(とち)の花 -或る私信-』という作品の冒頭です。(あおぞリンク)

 この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜を悪くしたのですが、此方へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。

まさに、「T先生語録その1」そのままです。

で、夏にお会いしたときに聞いてみました。夕刻、飲み屋への移動中、ソフトボール大会会場近くのバス停にて。

「先生って、『肉体の健康は精神の不健康だ』ってよく言いますけど、梶井基次郎から取ったのですか?」と。
「オリジナルだ」とおっしゃるので、カバンから『檸檬』を取り出し、上記部分をお見せしました。T先生も、ちょっと感心したというか、面白いなぁと思ったようでした。「シンクロしてんなぁ」っておっしゃってました。

という、特にオチも無い話です。

『わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか』(アマリンク)を読み終えたのは、今年の春だった。
一番印象深かったのは、第4章の 「宇宙開発」の実態-人造の世界を夢見る人々- である。

今、野口さんなる方がISS(International Space Station)なる場所へ行っているようだ。この本(原題 "VOODOO SCIENCE")の筆者ロバート・L・パークなる人に言わせると、有人宇宙探査は「愚の骨頂」であるらしい。Amazon 上の書評にも「宇宙探査についての見解が新鮮だった」という記述は多い。
宇宙に人を連れて行くコトには、既に意味がないとのこと。
確かに、「人という壊れやすいビミョーな構造物」を宇宙に放り出すよりは、「金属から成る機械」の方が、頑丈で安心だ。探査機「はやぶさ」なんかの報道を見るに、遠くに行かせるのは機械の方が良いだろうと思う。ヒトを送るには、リスクと費用が半端ではない。月にしろ、火星にしろ、ISS のある「低軌道」であっても。

なお、この本を読んだ直後(4月末のようだ)、「月面2足歩行ロボット」のニュースが流れてきた。「宇宙基本計画(案)」の全文(pdf)を読んだわけではないが、下らねぇコト企画しているなぁって思った。その先に意図しているものが見えない。何故に2足歩行なのだろうか。

って、書いてなかったコトをやっと日記にしました。
ロケットは「衛星打ち上げ」っていう需要が確実にあるだろうと思います。しかし、あの本を読んで以来、ISS の存在を懐疑的に見るようになりました。ISS は、全世界的な「事業仕分け」の対象にすべきじゃないかなぁ... 機械にできるコトは機械に任せてさ。

2009/12/24 補足
昨日、同じ動画の youtube を貼りました。昨日の段階では見れたのですが、今日は「規約に違反」とかで見れませんでした。凄いタイミングの悪さ。ニコ動に替えました。

本日帰宅途上、とある薬局の店頭に1つだけ残っていた「リステリン フレッシュミント」計 1,250mL を680円で購入しました。凄いタイミングの良さ。多分、他の種類のリステリンも置いてあったのだろうと思います。私はリステリンの中では、フレッシュミントが一番好きなのです。
サンタさんからのプレゼントだと思いました。久しぶりですのぉ。

家でも参照できるように、そして「日記」のネタにもなるだろうと思い、入学式の前日に撮影したものです。今年は高校1年生のクラス担任です。

日本文学その1
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その2
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その3
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外国文学
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ハードカバーなどは、また別に存在してます。基本的にハードカバーは買ってないのですが、いつの間にやら「学級文庫化」した書籍が数点あります。生徒が持ち込んだヤツなのかな?
これらの画像を撮影したのは、「学級文庫」に何が置いてあって、何が無くなっているのかを、把握するためでもあります。ヒマになったときにブックオフ行ってこなきゃ。


で、結局のトコロ twitter を始めてしまいました。
ogawa_masaki っつーアカウントです。ご贔屓にどうぞ。
私の構築しているこのサイト、使っているタグはかなりいい加減でしょうし、「相対リンク」もほとんど使っていません。twitter 経由で「そっち方面の玄人」様(結構な数フォローさせて頂いた)がいらっしゃったりすると、ちょっと恥ずかしいのではありますがね。って、取らぬ狸の皮算用か。


過去の関連する日記
突然ですが...(2003年8月)
がっきゅーうんこ(2006年4月)
ブックオフ万歳(2007年6月)
本を読み、老化を知る。(2008年6月)

初版196ページ、8章「宇宙気候学のための行動計画」8節「今日の気候変動についての建設的な見解」の冒頭「予報士による長期気候予報の問題点」から引用

 宇宙線が気候変動を引き起こす重要な要因なのに、その予測ができない現時点で、数十年先の確定的な気候予報を市民に提供しようとする試みは、いかなるものでも科学的には軽率なことである。それに、また、為政者を誤った方向に導いたり、国民に、地球の気温の上昇、または低下により危険に晒されると不適切な忠告をしたりする可能性がある。コンピューターにより気候をモデル化した開拓期である1970年代に、プリンストン在住のジョセフ・スマゴリンスキー(Joseph Smagorinsky)は、早くから警鐘を鳴らしていた。それは、今でも真実のように思われる「間違った気候予報を出すぐらいなら、全く出さないほうがましである」。
 コンピューターは、その当時より性能が大幅に向上しているが、気候モデルにはまだ仮定や簡略化が用いられているので、疑わしさが増えているように思われる。地球の気温への炭酸ガスの影響の可能性は、今でも、気候モデル作成者の自由裁量により決まり、幅広い範囲内から選ばれた予測値に依存している。
(中略)
 気候とは関係なく、化石燃料消費の節約を要請する理由は、他に幾らでもある(中略)たとえば、1.健康を害するスモッグをできるだけ削減するため、2.この惑星の限られた燃料資源を長持ちさせるため、それに、3.貧しい国のためにエネルギー価格を低く維持するため、というようにである。


読んでいて、気持ちの良い本であった。(アマリンク)
特に、上に引用した部分に激しく同意した。


この本の内容をごく大ざっぱに言うと、"太陽の活動が弱くなると、地球の大気低層に宇宙線が入り込みやすくなり、その宇宙線が雲の凝結核を量産する。大気低層の雲は太陽光線を反射するため、地球を冷やす作用を持つ。これらの知見は「南極等の氷床コアの分析」「海洋の堆積物の分析」「大規模かつ長時間の霧箱による実証実験」「貝化石などにおける同位体比の分析」「宇宙空間に存在する鉄元素由来のγ線分布から類推される超新星出現の歴史」その他によって、発見・補強されてきた"ってトコ。

杉並区の図書館に借りた(そして、大幅に延滞した)のですが、手元に置きたく(自腹で買いたく)なった本です。
とりあえず、Amazon のカートに入れました。


関連する過去の日記
BOINC!(2005年11月)
気象庁は勇み足 エコノミストは暴走(2006年2月)
ミランコビッチ・サイクルとヒト(2007年6月)
気象予測で用いられるらしい「アンサンブル予報」って、似非科学じゃねぇの?(2009年11月)

最近読んだ本で読み応えがあったのは『獄窓記』です。山本譲司(アマリンク)という方が著者です。内容は書名の通り、山本氏が体験した「獄の中の記録」です。


「秘書給与流用」というと、2002年3月に話題となった辻元清美氏や田中真紀子氏を思い出す方が多いと思います。
山本譲司氏は自身2期目の衆議院議員在職時の2001年、「公設秘書給与を詐取した」という罪で1年6ヶ月の実刑判決を受けた方です。上の本にもありますが、クニから詐取したお金は私設秘書の給与などに流用したとのことです。

この本を手に取ったのは、同氏の著した『累犯障害者』が興味深い内容の本だったからです。そのデビュー作?に当たるのが『獄窓記』です。
特に『累犯障害者』を読むと、「犯罪を犯すヒトは、犯すべくして犯す」という気がします。じゃあ何で『累犯障害者』なんて本を手に取ったのかというと、Birth of Blues に「読め読め」って書いてあったからです。


本気で社会を明るくするんだったら、「犯罪を犯した者が、犯罪を犯さないようなハード的なしくみ」をきちんと構築すべきだと思います。ワケ分かんないポスター掲示するような、現在の「ソフト的な『社会を明るくする運動』」には、あまり意味を感じません。
あるいは、景気を良くする、かな?(参照)
私にできることは山本譲司の著作を紹介するくらいですが、そのほうが多少なりとも「駅の垂れ幕や街角のポスター」よりも有意義だと思います。
私のリアルの知人だったら、文庫本をお貸しします。とりあえず今は「学級文庫」に置いてあるので。


以下は『獄窓記』についてのおまけ。
山本譲司氏は、今をときめく菅直人氏の公設秘書をやっていたそうです。『獄窓記』にも管氏が時々出てきます。「とてもいい人」として描かれています。ま、世話になった人を悪くは書けないでしょうけれど。
それに対して辻元清美。ひでぇ輩です。


過去の関連する日記
「社会を明るくする運動」不要論(2005年7月)
ごまめの歯ぎしり(2006年3月)
原理主義者として(2006年11月)

『日本語と外国語』と私

カテゴリ:

この新書(アマリンク)は、20年前に発行されたものだ。大学1年のときの一般教養「言語学」で先生から「買え」って言われて買ったような気がする。講義はかなり記憶に残っている。おもしろかった。試験のできが悪く、その単位は落とした。
生涯に「買わされた本」の中では、かなり良い作品だと思う。

今回改めて読み直してみて、私は結構きちんと「本の内容」を吸収していたように感じた。
「読み直し」は多分2回目かな。実家に置きっぱなしにしても意味がないので、学級文庫に置こうと思ったのだ。置く前に、改めて読んでみた次第。

私は

「エスペラント語」なんて、普及するはずがない。日本語と他の言語に於いて、「単語」や「概念」は「1対1」で対応するわけではない。だったら「1(エスペラント) 対 多(すべての言語)」なんて、成立するはずがない
って思っている。
この認識のタネが、20年前の読書だったらしいことに、改めて気付いた。

忘れていた内容も多々あった。「虹を7色に数えるのはニュートンが始祖らしい」とか。


この本の他に、鈴木孝夫氏の他の著作を読んだかというと、読んでいない。
学級文庫に置いてきた。

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