2005年06月01日

●初「羽織袴」

ここのところ、過去の話題を記し続けている気がするのでありますが、またもや1ヶ月前の話題を。
私、小川正樹は今年の7月に法律上の結婚を行う予定なのですね。それに先立ち、私の配偶者となるヒトの生まれ故郷への旅&披露宴を行ってきたのです、この間のゴールデンウィークに。そのヒトは職場での「オシエゴ」ってヤツだということ、この腐れページ群のどこかには記述してあるのですね、既に。で、そのヒトの生まれ故郷は中国の上海なのでした。これは初出のネタであるハズ。今年の2月の段階で「ゴールデンウィークには上海に行き、改めて彼女の親戚の方々に挨拶をしてこよう」というコトは決めてあったのです。
そうしたらば、面白いくらいに政治上の日中関係は悪化の一途を辿り、4月には中国国内のあちらこちらで反日デモがボコボコ起こっていた様子でした。そんな中、「何もかも運命、仕方ねぇやな」という感じで4月28日夜、中国国際航空にて上海へ向かったのでした。
結局のところ、私が見た範囲では上海の町の雰囲気は約2年前とほとんど変わらず、デモの「デ」や暴動の「ボ」の字も見あたりませんでした。ま、日本総領事館周辺へは行ってませんから、その周囲については判りませんが、上海市中心部については穏やかなものでした。相変わらず車のクラクションと車・バイク・自転車・ヒトによる信号無視と埃に満ちあふれていました。そして、ちょうど1か月前、メーデーである5月1日に披露宴が催され、いろんな方に祝福していただいたのでした。
7泊8日の旅程だったのですが、写真集のための撮影を1日がかりで行ったり、披露宴のための衣装あわせを行ったり、披露宴を行ったり、彼女のいとこの披露宴に参列したり、風邪をひいて寝込んだりと、かなりハードな日々を過ごしました。前回の上海旅行でも同じだったのですが、食べ物がおいしいのでついつい食べ過ぎ、胃腸の調子を崩し気味にして日本へ帰国した私でした。そんな旅の中で一番面白かったのは「写真集の撮影」ですね。
最近は日本でも徐々に写真集作成が流行りつつあるようですが、中国ではそれ以前から存在しているのだそうです。朝から夕方まで、全部で6種類の衣装を身にまとい、全部で300枚を超える画像を撮影してもらったのでしょうか。もしかすると500枚を超えているかも知れません。そいつらから47枚の写真を選び出すのにも2時間くらいかかった気がします。上海の風景というと外灘の歴史的建造物群と東方明珠(テレビ塔)が有名ですが、船に乗ってそれらの建造物をバックにクサい写真を撮りましたし、花園飯店(オークラ・ガーデンホテル上海)内とか、その庭とかでも撮影し、最後はホテル内にあるスタジオにてチャイナ服や和服にも着替えて撮影をしたのです。
私は初めて羽織袴ってヤツを着ました。昔からちょこっと着てみたいとは思っていたのですが、まさか異国の地で着ることになるとは思いませんでしたねぇ。

2005年06月06日

●苦節云年

先週末、私の勤め先に於いて、専任教諭には1人1台のパソコンが行き渡った。私は情報処理部とやらに属しており、部長(Tセンセ)は数年前から「1人1台のパソコンを!」と主張していたのでありますが、パソコンも結構値が張るものでもあり、なかなか「1人1台」の実現が果たされなかった様子であります。
私自身は5年前に自腹で購入したノートパソコンであるLet's note(型番CF-L1EA)を職場でコツコツと使い続けてきたのですが、この度やっと仕事用のツールが正式に支給されたわけですね。そんなわけで、5年前のモデルからCeleronM搭載の富士通はFMV-LIFEBOOKとやらへ、作成したファイルや環境を移行する作業を行い、それは本日ほぼ完了しました。その際に知ったことが2点ほど。1つは「Googleツールバー」の新バージョンが出ていること。もう1つは「SETI@home」の新バージョンが出ていたこと。どちらもなかなかに面白いものでありました。setiのほうは敷居が高くなった気がしますね。公式ページには日本語も記してありましたが、プログラムの導入自体が複雑になっており、少し英語と格闘した私でした。「Googleツールバー3」はベータ版ではあるらしいですが辞書機能が追加され、便利になっていますね。辞書ってのは基本的にWebページを閲覧しているときに多用しますしねぇ。
富士通というと、この間買って読んだ『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』が印象深かったのであります。なかなか面白い内容でありました。Amazonで思い出しましたが、『新しい歴史教科書』の新版ってヤツ、今回は市販されないそうでありますねぇ。

2005年06月16日

●ILLUME

学校というトコロはかなりの量の印刷物が届くところであるなぁと思う。昨年度から職場では教科「理科」の「まとめ役」を仰せつかっているので、理科関係だけでも毎日毎日いろいろな郵送物がやってくるのである(メール便もね)。そんな中、私がもっとも楽しみにしているのは東京電力の発行する雑誌『ILLUME』である。年に2回しか発行しないそうであるが、装丁も美しく、記事にも読み応えのあるものが多いのである。そいつが本日やってきた。
私の住んでいる場所に給電してくれているのは東京電力であり、毎月電気代の請求等はバッチリ投函されてくる。しかしながら、この冊子は普通の東京電力ユーザーに送られているわけではないようで、私の家のポストに入っていたコトは無い。つまり、東京電力の一般ユーザーは、使いもしない「TEPCOひかり」のテレビCM広告料やこの冊子『ILLUME』の代金を電気代として余分に支払っているのであろう。まだ1年経っていないと思うのだけど、上記サイトではバックナンバーをくれたり(あるいは購読を申し込めたのだったかしら?)した気がするのだ。そのサービス?も終了してしまったらしい。
こういった啓蒙書?の類は原子力関係や大学なんかからも送られてくるのだが、面白さでは『ILLUME』には敵わないのである。カネのあるところは強い。
関係が無いような話だが、私はここ数ヶ月「核燃料サイクルの研究も続けたほうがよいのかなぁ?」との思いを強めつつあるのだ。かといって、敦賀湾の横に棲みたいとも思わないのであります。卑怯な私であります。ちょこっと関連するのだが『地球と人間の環境を考える』っていう日本評論社という会社が出しているシリーズは面白いです。1巻から6巻まであるのですが、一通り読みましたし、巻によっては複数回読みました。間違って図書館で何度も借りてしまったノデ。と、ここまで書いて調べてみたら、このシリーズは12巻まで発売されている様子であります。とりあえず7巻目を杉並区立図書館に予約してみた。

2005年06月20日

●教職志望とノストラダムス

私の記憶が正しければ、この2週間ほどの間に別々の生徒から合計3・4回質問されたのである。「何で先生になったのですか?」と。
今は丁度教育実習生もやってきているし、実習生の思いを聞いたり、そういったことを実習生に尋ねたりしたついでなのかも知れません。生徒からは「こいつ、教員っぽくねぇヤツだなぁ」と思われているのかも知れませんねぇ。
上記の質問に対して、時間が無い(というか、授業を進めたい)ときは「この学校にたまたま拾われたのです」とか、「消去法だね」とか答える私であります。これらの回答は決して嘘ではありません。少し時間があるときは「理科が好きだったから」とか、「色々悩んだが大学4年の時に決心した」とか「東京都の教員採用試験を3回落ちた」という事実を付け加えることもあります。これも真実であります。
で、私が教職を志した理由を正確に記すと、結構おかしな理由になってしまうのであるが、そいつを記してみよう。
私は1971年の生まれなのだが、私くらいの世代のヒトってのは幼い頃に少なからず「ノストラダムスの大予言」ってヤツを意識したことがあると思うのだ。「ノストラダムス世代」とでも言えばよいのかなぁ?と思い、例によってググってみたら、40件ほどヒットした。その筆頭は『ほぼ日刊イトイ新聞』ってヤツだった。そのページ群、名前は知っていたけど閲覧したのは初めてだったりした私である。
幼い頃ってのは「怖いもの」が怖いじゃないですか。私が小さい頃には「口避け女」とかが日本中に存在したらしいし、結構本気で信じたりしちゃう。そのひとつとして『ノストラダムスの大予言』ってヤツがあったのですな。日本における「ノストラダムスブーム」のおおもとは何らかの単行本か何かだと後から知ったのだけれど、小学生である私のナイーブなココロにグサッと突き刺さったのは、一番有名な「1999年の云々…」なワケですよ。(以下続く)

2005年06月21日

●そして恩師木村清志先生

「そうかぁ、僕は28歳で死んじゃうのかぁ」と、小学生の私は思ったわけですよ。ま、ココロの4分の1くらいは「死なないだろう」とも思っていたのかもしれないけれどね。で、28歳で死んでしまうという前提で人生設計を考えたわけであります。
28歳というと仕事に就いているだろうと考えたわけです。何かの職人になるとしても、28歳までの数年間ではたいした職人になれないまま地球の終末を迎えてしまうと考えました。また、仕事というのは究極的に他人を喜ばせ、笑い顔を見ることによって自分の満足が得られるものであろうとも考えたわけです。
小学生の私にとって、楽しいのは理科の勉強であるし、その楽しさを伝道できるなら素晴らしいだろうということで、「センセイという職業がいいかなぁ…」という結論に至ったのです。ま、教え子であるコドモも数年後には死んでしまうのだから、かなり虚しさがあるとも言えましょうが。
また、中学校のときの先生(木村清志センセイ)に高度な実験をやらせてもらえたというのも、理科がさらに好きになった理由に挙げられるでしょう。