駄文2 の日記群

虚しさからの旅立ち

そもそも MovableType を導入したのは、日記をある程度整理したかったからだ。
しかしそもそも、私の日記は"TAWAGOTO"でしかないものが多い。そういった文章は「駄文」というカテゴリに放り込んできた。しかし「駄文」も肥大に肥大を続けていた。多分、当腐れサイトでは、一番文字量が多いページになっているハズ。

いつ、新しいカテゴリに移行しようかと、ここ2,3年くらいタイミングを伺っていた。
ぞろ目で"666"あたりにすると、不穏な感じで良いかとも思ったが、無理に不穏にすることもないので、止めておいた。

気づけば、駄文は「674個」溜まっていた。「ムナシ」である。
ちょうど良いので、新しいカテゴリを作ることにした。

卒業式だった

今日は職場の高校卒業式だった。
1年次だけホームルームを担当した学年で、当時私は全8クラスに「情報Aという何か」を授けたのだ。

卒業式では「泣きすぎる元生徒会長」が今日もズブズブだったのに笑ったが、それを見て思わずもらい泣きをしそうになった。元生徒会長を含め、中2だった5年前から顔見知りの生徒も混じっているので、ちょっと感慨深かった。

毎年思うのは、「あの動物的だったヤツらが、よくもここまでヒトになるものだよなぁ」というコトである。
しかし、「高校卒業」の18歳となった時点でも、十分野性味を放つ輩も生き残ってはいる。
ただししかし、最初から「ヒト」として入学してくる生徒が大半ではある。一応補足。

生徒は「手間がかからない」方が、担任や教科担当として有り難いのは確かだ。しかし、手間がかかったヤツらの方が、印象に残る。ま、昔からいろんなヒト(親?)が言っていることでしょうけどね。

原発がらみの駄文まとめ

年間労働時間ログ

2010年度 2696時間35分 (高1担任)
2009年度 2581時間25分 (高3担任)
2008年度 2626時間15分 (高1担任)
2007年度 2881時間05分 (高3担任)
2006年度 2816時間20分 (高2担任)

記録として。
私は基本的に職場以外では仕事をしません。
年間の残業は1000時間を超えているわけだから、何かあれば労災が適用されるのでしょう。

検索キーワードおよそなう

Google 様によると、当腐れサイトへの客が用いた「3月1日から現在までのキーワード上位10コ」は以下の通り。

1.原子炉
2.チェレンコフ光
3.核分裂
4.臨界 青い光
5.原子炉 写真
6.チェレンコフ
7.ウラン235
8.回路図 記号
9.西日暮里 本屋
10.チェレンコフの光

画像経由が多いようです。
世相?を反映しております。

原子力と私

そもそも「ノストラダムスの大予言」も信じた私ですから、「核燃料サイクル」はもっと本気で信じていました。
現在みたいな「ちゃち」なヤツではなく、高速増殖炉をメインに据えた「当初の核燃料サイクル」です。

しかし、理科や歴史(第二次世界大戦と原爆など)を勉強するにつれ、「原子力って安全なのか?」という真っ当な疑問を抱くことになったのでした。その後、書店で目についた文庫本の『東京に原発を(広瀬隆)』を読んだりして、憤ったりすることもありました。

教員になってしばらく経った1990年代半ば、「東京私立中学高等学校協会」の主催する「東海第二原発見学会」に参加しました。「もんじゅのナトリウム火災」とほぼ同時期なのだろうと思います。
『百聞は一見にしかず』実物を見ないで生徒に「エネルギー問題」を語れるはずもない。
基本的には「恐怖心」があったのだろうと思います。今も原子力に対しては恐怖心を持っています。怖いからこそ、学習する必要を感じたのだと思います、今思えば。
その際、一番衝撃を受けたのは「こんこんと流れ出る温排水(GoogleMapへ)」でした。あれほど大量に水が流れるサマは見たことがなかった。原発は相当に熱が出るものなのだと認識しました。

数年後、JCOの臨界事故が起きました。
バケツでウランを扱っているということに衝撃を受けました。「臨界」すら知らないヒトがウランを扱っているという産業構造(?)に衝撃を受けました。その前後に「ウランの濃縮はガス化したもの(6フッ化ウラン)を遠心分離することによって可能になる」ということを知り、新たな衝撃を受けました。超重元素を気化するなんて、すごい技術と熱意だと思ったわけです。
ごく最近、大内久さんと篠原理人さんの画像がネット上にあることを知りました。

更に数年後、「平成17年度原子力体験セミナー【産業コース】」に参加しました。(その記録へ)
一番衝撃を受けたのは廃炉となった「初代JRR-3」の様子でした。巨大なプールに入り、「ただ冷やされているだけ」だったから。
その際に使用した「放射線量検知器」を「ハンドフットモニタ」と呼ぶこと、ごく最近知りました。

その2年後、「平成19年度原子力体験セミナー【上級理科コース】」にも参加しました。(その記録へ)

何度も自主的に学習することにより、恐怖心は減ったようにも思えます。巷の理科教員よりは、原子力に詳しいのだろうと思います。


最後に私の tweet を。

3月23日作成
私がさっき飲んだ東京の水道水は、今あなたが飲んでいるアルコールよりも安全なことは間違いない。

4月21日作成
福島からの転入生は、目の前のタバコを吸う大人よりも安全だ。

信頼できそうな人

私は、菊池誠氏をかなり信頼している。
学校の放射線量についての「暫定的考えかた」について考えた(追記あり) (4/25の記事)

信頼しているから、示されたソース(リンク先)をクリックすることはあまりない。

同じく私が信頼するNATROM氏は、嫌いな人がいるらしい。
武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる - NATROMの日記 (4/15の記事)

でも、私は(日本のリサイクルを糾弾していた)武田邦彦氏を嫌いにはなり切れない。
武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(61) 数値は一つ! 医療、職業、一般 (4/23の記事)

学級運営方針

今まで、持ったことありません。

当然ながら、披露したこと無いです。
しかし、その点について、保護者からツッコミはありません、十数年来。

そもそも、自分が生まれたこと自体、自分が希望したワケじゃありません。
あなたもそうでしょう。
自身の「生命運営方針」すら見当たらないのだから、それより細かい方針なんて立てようが無い、ハズ。
とりあえず、誠意は尽くします、可能な限り。

その誠意(という概念)は何処から来ているのか?

暫定的には「宗教」って存在が担っているのだろうとは思います。
無神論者の私は「宗教」を生まざるを得なかったホモサピエンス一般に同情します。

メッセージの無い教師でございます。

「はてな匿名ダイアリー」より

「魚 生食 基準」で Google 様を使用させていただいた。検索結果の発端となっていたのは、以下の文章だった。

http://anond.hatelabo.jp/20110505134951

元々肉に生食用も加熱用もなくそれぞれの判断で普通に生で食べられていた。
平成10年に基準ができたら生食用に適合する肉は存在しなくなった。

これってどう考えても基準が非現実的で無茶苦茶ってことだと思うんだけど。


気に入った返答がこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20110505135948

それを言い出すと労働基準法とか憲法9条とかもそうなんじゃないか。


確かになー。

なお、私は護憲論者に再転向しました。
労働基準法も遵守したいなぁ...


過去の関連する日記
『9条どうでしょう』読んで(2010年12月)

What's 琴線

一回聞いただけで、もう一度聞きたくなる音楽があったりする。
その「繰り返し聞きたくなる感覚」は私だけの話で、他の人には「何でもない、ありふれた音楽」だったりするのだろう。

ともあれ、このあいだ「何故か凄く印象に残った音楽」があったので、過去を振り返って「衝撃を受けた音楽ベスト3」を並べてみる。下の方が「エラい曲(?)」ね。

KEN ISHII "Metal Blue America"

中杉通りの欅並木の下、カーラジオから流れてきた記憶がある。発売直後だったのだと思う。CDを買った。

Perfume "ポリリズム"

有名な曲ですね。
テレビを見てたら流れてきた、公共広告機構(現AC)のヤツ。

The Foundations "Baby, Now That I've Found You"

青梅街道を走っている途中のカーラジオから。
初めて聞いたはずなのだが、とても感動した。
もしかすると、幼い頃に聞いたことがあったのかも知れない。

私の世代にとって「ビートルズ」は、イギリスのバンドではない。単なる「ひらけ!ポンキッキ」のBGM(?)なのであります。
同様に、幼い頃に「ファウンデーションズ」とやらに接している可能性も無くはない。有名な曲らしいですし。


私が多分、この(腐りかけた)生涯で一番聞いているアルバムは『僕の中の少年』であり、一番好きな曲は『蒼氓』であります。
そいつは間違いない。


過去の関連する日記(証拠)
私の好きな歌手(2001年6月)

交通安全運動に寄せて

危ないね辻のテントで死角増え


過去の関連する日記
リトラクタブル・ヘッドライト(2009年10月)

心から好きだよ

Chaco のサンダル、2代目を使い始めた。"Z/1 YAMPA"という製品である。

私が最初に買ったのは、2007年9月のことだったようだ。"Z/1 UNAWEEP"という製品だった。同じサンダルを4年近く使い続けたことになる。

前回は11,000円超だったことを記憶している。とても高価なサンダルだと思った。
今回も同じくらいの値段だと思いこんだまま、新宿南口のビクトリアへ出向いた。結局、現在の定価である8,190円で購入できた。円高の恩恵を受け、日本では安く買えるようになったようだ。過去の為替レートなどを見ると、4年前も今も、おおよそ100ドルだったようだ。アメリカ本国のサイトを見ると、私が買ったモデルは95ドルで売られている。

ウナウィープというソールは結構凹凸があり、その凹凸の境目からひび割れが生じてしまった。そのため買い換えたのである。今回はヤンパというソールにしたので、凹凸は少ない。どの程度持つのか、これから検証することになる。
しかしなにしろ、4年弱でおおよそ1万時間(残業しすぎ...)使用したわけだから、スポーツサンダルとしては、かなりタフな部類に入るのは確かだ。
履き心地も良好である。いろいろスポーツサンダルを試してきた私の観察によると、くるぶし周辺に違和感が生ずる製品も少なからず存在する。しかし、Chaco の製品は今のところそのようなことは無い。

自信を持ってお勧めできるサンダルである。

天国に一番近い便

基本的に、教員になってからは毎年、夏には多摩川の河川敷に行く羽目になる。
ソフトボール部の試合の引率である。

河川敷にある「くじら運動公園」というグラウンドを使用し、「西東京大会」というものが行われている。今年は第26回だったそうだ。
第15,16回(2000,2001年)は、私も幹事として運営に参加した。

この大会は、何が最も思い出深いかというと、その凶暴なまでの暑さである。
しかし、あのクソ暑さを通過しないと、夏が来た気がしないのも確かなのである。
本年度は結構暑かったが、熱中症なども起きず、比較的過ごしやすい天候だった。幸運であり、残念でもあった。大会後の打ち上げ宴会の際に聞いたが、他の先生方も同じ思いを抱いた方が多かったようだ。

本題に入る。
その「くじら運動公園」の横には、下水処理場がある。まあ、今では「水再生センター」というらしいが。

上の画像の右にあるのがソフトボール専用(!)球場4面である。あのアホみたいな広さが私は好きだ。ソフトボールをしていても気持ちがよい。私も何度か「選手」として、あのグラウンドを使用したこともあるのだ。

「くじら運動公園」には、トイレが少ない。難儀する点である。
管理棟に臭いトイレが、河川敷にはくみ取り式のトイレが、あるにはある。

で、前述の「水再生センター」には、公園が附属している。上記サイトによれば、「第一沈澱池」と「反応槽」の上を覆っているようだ。その公園は可もなく不可もない、普通の公園である。しかし、水洗のトイレがある。素晴らしい。

20110824_1.jpg
トイレ近景

20110824_2.jpg
トイレ横から「第二沈澱池」を望む

20110824_3.jpg
トイレは右端の直方体

そのトイレで何らかを排泄していると、「彼らは生まれた後に、一番すぐに天国に行く『ベンたち』なのだろうなぁ」と感慨を深くするのである。蝉よりも短い生涯だ。なんたって、生まれるのが「処理場」の上だ。

数年来、そんなことを考えながら、トイレを使っていた。やっと文章にすることができ、うれしく思う。


下の写真は大会後の散歩時に撮影。

20110824_4.jpg

よく知らない道を歩く際、私の脳内では『クルミを割れた日』が流れるように設定されているようだ。

いつも いつも隠された小道を行く
遠い 遠いあの歌を探しに行く



関連する過去の日記
T先生語録(2004年7月)
好評につき(2004年7月)
「ボタンの掛け違え」と飛鳥涼(2006年6月)
T先生語録 その4(2006年7月)
T先生と梶井基次郎(2009年11月)
雨と中央線と私(2010年8月)

私は神に遭わずに済んでいる

私は無事に無神論者(汎神論者)になり、これからもそうして生きていくのだと思います。
そんな無神論者ではありますが、宗教的な体験には何度か遭遇しました。


まず思い出されるのは中学2年の秋です。

「厨二病」ってなコトバもありますが、確かにあの頃は妙に多感だったと思います。その当時は世の中、つまり「オトナの世界」のいい加減さに嫌気がさしていたような記憶があります。

貧困は無くならないし、核戦争は近づいているらしいし、ノストラダムスは恐ろしいし、でも僕は受験戦争の中にいるし...、って。
何しろ中学生だった一時期、世の中全てが「虚飾」に見えていたような記憶があるのです。
かといって、目の前のオトナである先生や親なんかは、とりあえず良いヒトに見える。その人たちに悪態をつくほどの馬鹿にはなれず...、悶々としていたような記憶が残っています。

本当はその感覚「実世界との違和感」を持ったままが「正しいありかた」かも知れないとも思います。しかし、それでは世の中は生きづらい。
精神を病んでる状態が継続してしまうヒトってのは、真面目すぎるのだろうと思いますね。良いのか悪いのかは分からないが。

そんななか、「天啓」あるいは「全能感」がやってきたのです。社会科、若くして禿げかけたタカハシ先生の授業中だった記憶があります。本当に、今から考えても何故なのか分かりませんが、『全ての教科の勉強は繋がっているんだっ!』って体感したことを覚えています。
様々な教科が、やたらに楽しいものだと思えたのです。

徐々に、その「全能感」は薄れていきました。薄れてくれて良かったと思います。


次に思い出されるのは、大学3年の春です。
ある程度はこちらに記してあります。

その当時は、卒論のテーマが(研究室を避け続けていたから)決まらないし、生業を教師としてしまって良いのか今ひとつ自信が持てないし、ってことで、バイトと酒とジグソーパズルに逃避していたのですね。
最後で最大の作品は、2000ピースから成るMichel Delacroix って画家が描いたセーヌ川の風景のヤツでした。

そのパズルを完成させた翌朝から、徒歩旅行サークルの合宿は始まりました。

徒歩移動中、水戸は「偕楽園」の梅のつぼみを見ていたとき、「その感覚」が降ってきました。
梅のつぼみも自分も、この世界も、全て一体だと感じたのです。地球という存在を概観できたような感覚がありました。

なお、一世を風靡した「たま」ってバンドの「方向音痴」はこういった気分?を表現した歌だと思います。下に貼り付けておきました。

私は基本的に冷静な(つもりである)ので、「自分がキリスト教徒だったら、神に遭った気になるんだろうなぁ」とか「断食ってのは、確かに高揚感が得られるものなのかも知れないなぁ」って、自分自身の状況を観察していました。

今だからこそ、のほほんと記述していますが、このときは相当に「不穏な状態」を引っ張りました。3ヶ月くらいは情緒不安定でしたね。
しかしまあ、その体験により、「あの最悪な状態を気合いで乗り切れたのだから、これ以上に最悪な精神的危機は訪れないだろう。訪れても乗り切れるだろう」という感覚を得ることができました。


「宗教的な体験」で思い出されるのは、さくらももこの著作です。
「全てを理解し、宇宙と同一化した」みたいな記述を見た気がするのです。

ここ10年くらい、ずっと再読したいと思っているのですが、そもそも、何に収録されていたかが分からない。マンガで見たはずなのですが、もしかすると文章だったのかも知れません。
数年前、不要なパソコンソフトやCDを秋葉原のソフマップで売りました。その「買い取りセンター」には、『ちびまる子ちゃん』全巻(だと思う)が揃っていたのです。喜び勇んで巻末に収録されていた「おまけストーリー」を一通りチェックしました。しかし「宗教的体験」を記したマンガは見つからなかったのです。
謎は謎のまま。


私が「宗教って、不毛だなぁ」ってつくづく思ったのは、「私が成人してからすぐ『コーメー党に投票してくれないか』と突然電話してきた某学会員の元同級生」が、その1,2年後に『○○教に興味は無いか?僕はこの宗教は本当に素晴らしいと思っているのだ』と電話をかけてきたときです。
彼と私、どちらが幸せなのかは(その当時も今もこの先も)分かりませんが、その当時、自分は宗教中毒じゃなくて良かったと思いました。

宗教はなるべく避けて通ろうと思ったまま、今に至ります。



関連する過去の日記
本日の疑問(法の華に寄せて) (2000年5月)
「911テロ」から一ヶ月 (2001年10月)
「罪のない市民」など存在しない (2006年9月)
リチャード・ドーキンス『神は妄想である』感想 (2008年4月)

関連する書籍(1年半前に読んだものの、書評を書けなかった)
村上春樹『約束された場所で―underground 2』(アマリンク)

物持ちが良すぎて...

先日、やっと「買わねばならない」と思っていたものを買った。それは「1円切手」だ。前島密氏の肖像が用いられている切手だ。初めて買った、手にした気がする。

何故、1円切手を買ったのかというと、こいつがあったからだ。

20110910.jpg
9円切手。
1枚だけ、ずーっと手元に残っていた。

こちらのページを見ると、郵便料金の変遷が見られる。
公共料金の推移


私がモノゴコロついたとき、封書は50円、葉書は20円であった。私が5歳になったとき、その価格に値上げされたものだったようだ。

いつの間にやら、葉書は30円→40円と値上げされた。平成元年(1989年)、3%の消費税が導入された。その際、葉書は40円→41円、封書は60円→62円になったのだ。
ミスチルの"my life"はちょうどその頃に発売された歌だ。

平成6年(1994年)、郵便料金は更に値上げされ、現在と同じ価格となった。封書は80円、葉書は50円である。その際に発行されたのが、上の画像にある9円切手だ。知っている人には説明する必要もないかも知れないが、「古い41円ハガキに貼り付け、新料金の50円にするための切手」である。当然「18円切手」もあった。画像を検索するまで、そのデザインを忘れきっていたコトに気づいた。
Wikipedia によれば、9円切手や18円切手は、2002年に発売が停止されていたらしい。知らなかった。

何しろ、10年以上「この9円切手、使わなきゃなぁ...」って思ったまま、引き出しの中に放置してあったのだ。晴れて9+1円で10円になったので、いつか旅立つ日も来るだろよ。


しかし思えば、私が授業を担当している生徒達は、モノゴコロついたときから、消費税が5%だったのだろうな。
2%上がったのは、平成9年(1997年)のコトらしい。私がネット上に駄文を披露し始めた頃だ。
そのときに生まれたヒトビトは、もう中学2年生になっているのですなぁ...。ま、そりゃ私も老いるわなぁ。

日記を書くに当たり、面白いページを発見した。
『世界に一つだけの花』は有害だと思う: それはつまり思いつき

上記ページは、私がうっすらと疑問に思った件について、侃侃諤諤の議論が行われた様子が残っている。
読んでいて面白かった。私が問題にするのは別の点だけれど。


私がこの歌を聞き、歌詞を確認して以来、ずっと気になっていることがある。
それは、「槇原敬之氏は、遺伝子とか『種』について、どう考えているのよ?」ってコトである。


歌詞の冒頭、「花屋の店先に並んだいろんな花」ってのは、「ユリ」や「チューリップ」という『別々の品種』を指しているように思われる。それは「ひとそれぞれ好みはあるけど」という歌詞から推察される。「ひと」というのは「品定めをしている花の買い手」だろう。

その後、二番の歌詞には「誰も気づかないような場所で咲いてた花」というのが出てくる。その辺の歌詞から考えると、基本的に槇原氏は「いろいろな『種類』の花のように、ヒト一人ひとりも、それぞれの個性を大事に伸ばそう」とおっしゃりたいようだ。

しかし、待ってくれ。
SMAPの歌を理解するような「ヒト」は、皆「ホモ・サピエンス・サピエンス」なのである。単一の生物種だ。言うなれば、花屋に於いて、ヒト一人ひとりは「バケツの中の同じ種類の、同じ色をしたチューリップ達」なのだ。ほとんど個性は見つからない。見つかったらおかしいのだ。
歌詞と現実が明らかに矛盾してまっせ。

しかし、一番の歌詞には「バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている」というフレーズもあったりする。
私はまた悩んでしまうのだ。この文の主語は「ユリ」や「チューリップ」という『品種』を指しているのか、それとも「バケツの中のチューリップ」の『一本一本』を指しているのかと。

ま、多分槇原氏は、そこまで考えていないだろう。この歌は名曲だと思うので、どっちでもいいんだけどね。


余談であるが、花屋の花はクローンである場合も多いようだ。バケツの中の花全部が、遺伝的に同一である場合も多々あるらしい。特にユリなどは。「花屋のいくつかのバケツの中には、全く個性は存在しない」ってコトです。
flowers.png

だから「『いろんな花』イコール『いろんな品種』」あるいは「『いろんな花』イコール『一本一本の花』」、どちらに解釈したとしても、槇原氏の歌詞は現実世界の花屋とは合致しないのですよ。


関連する過去の日記
clothes is クローゼズ?(2006年3月)
きっと運命 ...かも知れない(2009年8月)
『キセキ』PV の流星群について(2010年2月)

20110925.jpg
少なくとも14年間は使用していたようだ。
こういう破損の仕方もあるのだなぁ...と。
最初は「毛」が付着していたのだと思いました。でも、現れたり、消えたり。しばらくして「ヒビ」だと気づきました。

夏、たこ焼きと覆面パトカー

この夏、初めて長距離ドライブをしました。東京から大阪まで。

以前に私が車で行ったことがある場所で、最も遠かったのは福島県の喜多方です。老舗だという「源来軒」のラーメンを食べました。見た目はフツーなのですが、食べたことのない「まとまり方」のラーメンでした。おいしかった。
そんな私は長年杉並区に勤めていながら、未だに春木屋には行ったことないし、中野の青葉を訪れたことも無いのですけどね。
「二郎という食品」は、荻窪でしか食べたことがない。ま、要するにラーメン界では素人ということです。でも、素人なりに喜多方のラーメンには衝撃を受けたのです。

大阪で宿泊したのは、大阪ガーデンパレスというところでした。私学共済の系列だから、若干安く利用できるのです。
ちょうど、甲子園に出ていた横浜高校が宿泊してました。彼らはとても礼儀正しかった。ので、突如応援を開始しました。途中で負けちゃったのが残念でしたが、そもそも県で一番強いという段階で凄すぎると思いました。

ということで、表題の「たこ焼き」です。
朝食は俗に言う「バイキング」でした。そして、そこには常にたこ焼きがあったのです。「さすが大阪だなぁ」と思い、5日間毎朝食べていました。そして、太りました。8月には77kg前後まで行きました。やはり、食べ放題の朝食×5は危険です。
今は、75kgを割るあたりまで回復(?)しました。本来は71~72kgぐらいがちょうど良いと思っています。私の身長は公称(?)177cmです。標準体重は68kg台だったかな? 経験上、そのくらいまで減ると、かなり速く走れるようになりますね。
ここ数年は、73kgあたりを行き来しています。

weight2011.png

このグラフは私の体重でして、QUPiO なるサイトに記録しているのです。

このサイト、私が希望し、使用し始めたわけではありません。花王(の子会社)が私学共済に「うまいこと取り入った」結果のようです。それとも、私学共済が花王に取り入ったのかな? ま、どっちでもいいや。
QUPiO は私の検診結果を保有しています。拒否する術もなかった。だから、積極的に使うことにしました。

使っているのは体重記録表のみです。一日の歩数とかも記録できるようですが、私はそこまで「健康マニア」ではない。職場では可能な限りエレベーターは使用しないよう心がけるくらいです。たとえ、ホームルームが5階の教室であっても。

なお、正月に体重が増えたのは、上海に行っていたからです。
旅行すると、テキメンに食べているってワケですね。


大阪旅行では、奈良・鳴門・神戸・京都などへも行きました。
アグレッシブだけど、せんべい売りのおばちゃんには従順な鹿たち。やはりデカい大仏。暑かった法隆寺。
巨大な橋と走りやすい高速道路。川よりも速く流れる海と渦潮。妙に美味な中華(上海)料理店天竺園
初めて大文字焼きを肉眼で見ました。ジモティーと観光客の喧嘩に遭遇。人波に溺れました。


で、表題のもう1件です。思いっきり、覆面パトカーに捕まりました。速度オーバーで。
後から調べたら、その「第二阪奈」は「覆面パトカーの名産地」だったみたいです。ま、速度オーバーは確かなので、反省しています。さっさと罰金も払いました。
その際、パトカーに連行される私を見て、子供がとてもビビり、泣いてしまったのでした。「パパが捕まった」って。子供には怖い思いをさせ、可哀相でもありましたが、心配してくれたことについて嬉しくも思ったのでした。


東大寺で進退窮まる吾子
todaiji.jpg

法隆寺 in Summer
horyuji.jpg

堂島ロール(軽くておいしかった)
dojima.jpg

製版と印刷の手間を考えるに

ソイインク主張しなけりゃもっとエコ

チャリンコ3題


先週、私の勤務先を退職なさった先輩の住処を訪ねた。
多分、私の日記に一番出演なさっている方だ。カメラマニアでドルトニズム(色覚特性アリ)の元生物教員宅へ。

彼は60歳を超えてから、自転車に目覚められたとのこと。
以前から、山行が好きな方ではあった。愛妻家のナチュラリストである。

20111004635.jpg
彼の愛車

最寄り駅には中央本線の特急で行った。多分、初めて乗ったハズ。

彼の(愛する)ワイフが運転する車で、先輩夫妻は駅へ来ていた。
ワイフ氏は、私のことを「パソコンが得意な後輩の理科教諭」だと聞かされていたそうだ。それはだいたい正しい形容だろう。
んなわけ?で、初対面の際には「ルックスとイメージが一致しない」って思われたそうだ。

送迎のVitzはマニュアル車だった。お宅へ行く際、数分間のドライブ中に尋ねてみた。「マニュアル車なんて、渋いですね」って。ワイフ氏は、大昔に免許を取ったため、オートマ車に乗るのが不安なのだそうだ。なお、先輩は免許なし。

先輩宅では、図版・書籍・オーディオコレクションの説明を聞き、ワイフ氏による昼食をご馳走になった。

その後、先輩とともに200m程(標高差)、自転車で移動する。目的地は「笛吹川フルーツ公園」だった。相当にへばった。還暦越えの方に負けるわけにはいかないので、自転車を降りることはしなかった。

やはり、自転車での移動は楽しいと再認識した。


今週に入ってから、ママチャリの後ろタイヤのチューブ交換を行った。
こちらのサイトを参考にした。
自転車のタイヤ交換 ママチャリ後輪編

3週間ほど前に、パンクに気づいてはいたのである。
気合いが乗らないので、放置していた。

上記ページにも書いてあるけど、自転車屋に頼むのはコストパフォーマンスが悪いのである。
(私の税引き後時給(ボーナス等込)は、2,3年前の時点で1900円だった。一度そいつを計算してからというもの、私は1時間を1900円に換算してしまうのである。ちょっとした告白。)

自転車のチューブは西友阿佐ヶ谷店で確保してあった。900円弱だったかな? ネット上で買うよりは高かったみたいだけど。

結果的には、1時間程度でチューブ交換は完了した。
私は、工具を使って「それなり」の作業を行うと、自己満足を得られる。男性はだいたいそうなのかも知れないが、詳細(各論?)は分からない。
ま、友人のブログに影響されたってコトもあるだろう。


で、実家の倉庫に放置していたロードレーサーを回収してきた。

20111012641.jpg
イメージ画像

放置してきた割に、不具合がなかったことに感心した。置き方が悪く、一時的(数年間?)にリアディレイラー(変速機)に無駄な力が加わったこともあったはずなのだが、特に変速機の異状は無かった。
ヘッドライトや反射板の電池は見事に液漏れしていたが、基板は生きていた。サイクルコンピュータに、改めてギア数等を設定しました。

この秋、ヒマなときにはチャリンコで風を楽しもうと思っているのです。


関連する過去の日記
カリフォルニアロード(2004年3月)
カリフォルニアロードです(2007年12月)

この駄文群の読者を増やした

先日、職場の学年団での宴会があった。
結婚なさる方のお祝いを兼ねていた。めでたい。

酒を飲むうちに、私周辺の席での話題が、その場にいらした「職場のセンパイ」「ブログ」となった。
わたしゃ、RSS経由にて、更新されてから1日以内には読んでいる。

「11月12日と15日の話が面白かった」という点で、私ともう一人の読者の意見は一致した。
「もう一人の読者」に「マサキちゃんは、(ブログとか)やんないのー?」と尋ねられたので、「私は13年くらい日記書いてますよぉ」ってお伝えした。検索のための語句「ありおり」を伝えた。

昨日、ご覧いただいたようである。よこそう、ariori.com へ m(_ _)m

「もう一人の読者」については、以前日記を書いた。
「ハブが壊れた」だ。

では、ごきげんよう。

クミアイについて少し

本日はこれから組合の忘年会でございます。
本年度に加入なさった4名の歓迎会も兼ねているのです。

当組合の規約では、職場の「専任職員」が加入できることになっています。
しかし、ここ10年くらい、加入しているのは教員だけなんですねぇ。私が知る範囲では、事務室にいた主事のオバサマも2名ほど在籍していました。その方々は定年になっちゃったから、組合員は教員だけになってしまった。


教員、事務職員ともに、最低年1回は「組合員募集」ってチラシを配っています。地道に一本釣りで声をかけたりしてます。一本釣りは私も、それ以外の方も、様々な場所で行っています。

なお、組合員は現在31名で、歓迎されるのは4名です。結構な増加量です、スバラシイ。4名中3名は、今年4月の夜の職員室での「はえ縄漁」で釣り上げたのです。一晩で3尾。
まあ、以前からいろんな方が「撒き餌」をしていたわけですけどね。


我が勤務先の「専任職員」は、校長・教頭・事務局長を含め、79名です。加入率は4割に欠けます。教員に限れば、69名(校長・教頭含む)なので、45%弱となりますが。

昨年度の「公立学校」に於ける「組合加入率」は41.2%らしいですので、私の勤務先は「まぁ普通」なのでしょう。
平成22年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について:文部科学省


私は職場に於いて、なるべく「言いたいことは言う」ようにしています。その方が精神衛生上良いです。
組合の団体交渉ならずとも、職員会議や単なる会議でも、私は是非言いたいことがあれば言い、キレるときはキレます。まあ、団交では相手にキレ返されることも多々あったわけですが...


私が組合絡みで最も嫌な気分になるのは、「自分が組合に入っていないのに、組合に何かを期待し、それを『口に出してしまう』輩」に遭遇したときです。

最悪の人物は、鮮烈に覚えています。
「オガワ先生、組合、頑張ってくださいよ」ってニコニコしながら、私に話しかけてきたヒトが居ました。何が話題だったかは忘れました。何しろ、彼に対する嫌悪感は未だに消えません。
その場では、詰問などはしなかった。とてもとても呆れたから。

それ以降、私の心の中では「あっち側のヒト」となりました。ま、それ以降も彼とは、必要があれば普通に喋りましたけどね。
彼は、その後転職しました。退職する話を初めて聞いた際には「あなたが居なくなると聞き、残念だ」とも伝えました。それは本心でした。仕事はキチンとやってくれるヒトだったから。
ま、職場環境が気に入らない場合、「転職」ってのは最もスマートな解決方法ではありますけどね。

彼の今の職場環境はどうなのだろうか... ちゃんと、自分で自分の環境を改善できるヒトになったのだろうか...


委員長(当クミアイで、最も偉いヒト)になり、もうすぐ満8年だったりするのですねぇ...
規約(2008年3月改正)から目的を紹介し、この駄文を終わります。

第3条 この組合は組合員の自主的かつ民主的団結により、労働条件を維持、改善し、社会的・経済的・文化的地位の向上を図ることを目的とする。

飲み過ぎには気をつけようと思います。

あの方にお会いする

私は6年ほど茨城県に住んでました。4歳から小4の夏まで。
常磐線沿線の神立(かんだつ)が最寄り駅でした。土浦の次の駅。

「牛久大仏」という名前は聞いたことあったのですが、一度も見たことないまま、6年間の茨城生活を終えました。
母親の実家は東京、父親の実家は同じ県内の古河(こが)なので、常磐線や国道6号線にて「牛久」は何度も通過しました。しかし、大仏を見たことはありませんでした。


私は鳥肌実が好きなのです。数年前に映画『けものがれ、俺らの猿と』をレンタルで見た際、「こいつが多分『牛久大仏』なのだろう」とは分かりました。でも、実物は見たことがないままでした。

そんなことも忘れていた先日、その大仏様に、突然お会いしました。
「あみプレミアム・アウトレット」へ向かう途中、作りかけの圏央道からでした。

アウトレットから撮影したお姿です。
daibutsu.jpg


アジアの雷管「北朝鮮」が、巨大な爆弾「中国」に火を付け、黒孩子(ググリンク)までも撒き散らさないか、それが若干不安な年末。
大仏様にも少し祈ったりします。

25年ぶりに恩師に会う

先日、職場に都内公立中学校の先生がいらっしゃった。
そのお方(♂)は、私の中学時代の恩師であった。


「恩師という程には深く関わっていないなぁ...」と、この駄文を書き出す前は思っていた。しかし、よく考えるとやはり恩師だ。
その先生は、私が在籍した豊島第十中学校で生活指導的な立場にいらっしゃった(ようだ)。その先生が居なければ、私の通った中学校全体が、更にバイオレンスに満ちたものになっていただろう。

そして、その先生は「杉並中学校剣道指導者同好会(杉中剣)」での重鎮らしい。
杉中剣という団体は、以前私の勤務先で活動していたこともある。


私の同僚、職員室内の座席が左隣の御仁(50代♂)は、剣道部顧問である。杉中剣の会員だそうだ。
私の中学時代の同級生(41歳♂)に、都内公立中学校で理科教諭をやっているヒトが居る。彼は中学時代剣道部だった。彼も杉中剣の会員だ。以前、杉並区内の私立校に勤めていた関係らしい。

なお、私も中学校時代に「恩師」の体育の授業を受けた。剣道の授業もあった。
私は「オガワ」なのだが、「剣道部の同級生」は出席番号が私の次だった。
「剣道@体育の授業」で、素人の私と剣道部の同級生はペアになっていた。チョー「やられまくった」記憶が残っている。動いても、動かなくても、面やら小手やらがバシバシ決められた。「やはり、剣道部は剣道が強いなぁ...」とアタリマエのことを思ったのだった。

文章で記すと大変なので、相関図にしてみる。
so-kan-zu.gif

「恩師」は私を覚えていてくださったらしい。
私が「豊島第十中でお世話になりましたオガワです。剣道部の○○が同級生でした」と挨拶に伺った。
「おお、○○の代の(生徒か)! 剣道やれ、剣道!」
「いや、もう剣道は結構です。体育で一番キツかったです」なんてなやりとりを行った。


「恩師」が50代なのは間違いないらしい。ローティーンだった私は、30歳前後の彼に体育を教わっていたようだ。
彼は今もバリバリに生活指導で活躍(?)なさっていらっしゃるとの話だった。

チャレンジ

「著作権についてうるさい」という某団体は、この辺境サイトにツッコミを入れてくるのだろうか?

bo_mouse.jpg
先日、私は「雰囲気」を出そうと思い、戸棚の奥にあった「リース」を発掘し、点灯してみた。
深夜、配偶者はキレた。「突然、こんなもの置くな! びっくりするわ!」と。 ...orz


本日の帰宅時、山手線内にて「眠る酔っぱらい」を見た。
新宿駅で私が乗車した時点で、彼はシートに横たわっていた。

その後、別の駅(池袋だったかな?)で、彼を起こすべく、駅員さんが2人やってきた。揺すられた彼は、全然反応しなかった様子。駅員さん諦めて退却。

私が山手線を下車する際、床に液体が流れていることに気づいた。
彼をよくよく見てみた。
座席に横たわる彼は、その状態で放尿していた。
彼の横の座席には、「使用できません」という文字が印刷された紙が置いてあった。他の乗客が、彼の小便でケツを濡らさないためだろう。

彼は12月24日に「酒に挑む」必要があったのだろうか?
ま、あったのでしょうね。合掌。

2011日記ベストテン

謹賀新年。

2011年の日記に於ける「ページビュー Best10」をお送りします。去年は46回日記を書いたみたいです。
集計期間は2011年の365日間なので、1月の日記の方が、明らかに有利(ページビューが増える)になります。

今回は公開日数を考慮した順位も作成し、末尾に添えました。しかし、そちらのリストは、逆に年末の方が有利になることは否めません。


第1位 6月30日
「石原式色覚異常検査表を丸暗記」ですと?

改めて「京都色覚研究所」なるサイトを見てみようとしたら、サイトが壊れかけてるか何かみたいで、見られなかった。
ま、いいか。

第2位 5月13日
目指せ0点

mixi に色覚関連のコミュニティがあるのだけど、そこに自分の色覚テスト結果を書き込んだら、アクセスがあったみたいです。

第3位 3月16日
原発がらみの駄文まとめ

原子力って、決して「ステキ」な発電方法ではないッスよねぇ... って、偉そうなこと言いながら、私は今も電力を消費しているのです。
しかし、昨今話題の「発電と送配電の分離」って、意味はあるのでしょうか? 少し調べてみましたが、よく分かりませんでした。

第4位 4月22日
原子力と私

第5位 11月9日
私学で良かった

第6位 4月13日
アンチ「カラーバリアフリー」例

第7位 2月28日
GkEc氏の発言から、自らの中学時代を思い出す

第8位 9月19日
『世界に一つだけの花』についての疑問

第9位 4月26日
信頼できそうな人

第10位 10月12日
チャリンコ3題


以下が中途半端に補正した順位です。
括弧内は「実ページビュー順位」になっています。
日付別の日記へのアクセスは、多分作成直後にピークを迎え、その後徐々に減衰していくでしょうから、この補正も正しくないのでしょう。

予想1位(1) 6月30日
予想2位(25) 12月24日
予想3位(22) 12月19日
予想4位(39) 12月21日
予想5位(5) 11月9日
予想6位(2) 5月13日
予想7位(14) 11月18日
予想8位(46) 12月17日
予想9位(36) 12月3日
予想10位(45) 12月12日

今後、気が向いたら補正の方法について考えるかも知れません。でも多分考えないな。


過去のランキング
2007年
2008年
2009年
2010年

「痔 悪化 冬」約 325,000 件
「痔 悪化 春」約 298,000 件
「痔 悪化 夏」約 404,000 件
「痔 悪化 秋」約 265,000 件

「痔 冬」約 972,000 件
「痔 春」約 3,360,000 件
「痔 夏」約 4,840,000 件
「痔 秋」約 2,980,000 件

私は、冬場に具合が悪くなる気がするのですね、「水戸さま」周辺が。
しかし、世の中では少数派らしいことを知り、少しびっくりしました。

夏に痔は悪化するのでしょう、全般的にはね。

ビバ、SAKE!

SAKE は「酒」ではなく「鮭」です。サーモン、三文魚。
鮭って、ウマいですよね。


今でも忘れられないフレーズに、「鮭が美味いのではなく『鮭を美味いと思う』ようにヒトが進化した」ってのがあります。
20年近く前、中学校での教育実習中に、お世話になった先生がおっしゃっていたコトバです。多分、それは真実なのでしょう。

教育実習中、食物連鎖とか生物種・個体数についてのレクチャーを受けていた際のハナシです。当方、地学科ですし、生物学はその当時嫌いだった(笑)。で、私を担当してくださった先生は生物が専門だったのです。苦労しました。当方も、そして多分、先方も。

だいたい、私と同じ研究室だったヤツが、教育実習をドタキャンしたんですよね。あり得なさすぎ。
で、私は作成しておくはずの「指導案」を文書化できず、実習に乗り込んだのでした。やっぱり、あり得ない ...orz

ま、授業展開の素案はあったのです。『写真集 水俣』での「強烈な写真」は、生徒に提示すべくコピーしてあったから。

実習初日の放課後、担当の先生が一通りキレた後、私は「一応、授業案は考えたけど、書面にできませんでした」って伝えました。「なんだ、考えてあったなら、ちゃんと『指導案』にしてこい」って言われました。しかし、20年前の私には、文章力も「指導案でっち上げ能力」も欠けていたのです。前日の深夜(もしかすると、徹夜でもしたかも?)まで文書化を試みたのですが、それは叶わなかったのですなぁ...。

その当時、私はパソコンを使っていませんでしたので、その後作成したはずの「指導案」も残っていないのですね。「胎児性の水俣病患者のねじくれた前腕の白黒写真(コピー)」を見せ、「食物連鎖」を気づかせるという「単元の導入」でした。
実習中、私を指導してくれた教官は「君は字が汚いから、ワープロを使いたまえ」っておっしゃいました。ごもっともm(_ _)m
そして、今の私があります。

予想以上に長くなった(笑)。


中国(中華人民共和国)の方は、刺身とワサビが好きなようです。特に「先取的(セレブ?)」な方は。
で、その刺身は基本的にサーモンです。

私は、未だに寿司の「サーモン」はちょっと馴染めません。ま、確かにおいしいのですけどね。
ニホンでも中国でも、「生サーモン」はチリとかノルウェーから入荷されるのでしょう。だから品質は安定しているし、食中毒もない。「ビバ、鮭!」でございます。
ま、私にしてみると、サーモンの刺身や寿司は「諄すぎる」んですよね。なんか「お子ちゃま向け」って思っちゃう。また、中国の「(日式)醤油」は、化学調味料が効き過ぎなんですよね、私が知る限り。
何しろ、中国では「正式な中国料理」を食べた方が良いです。

私が今回の「年末年始上海訪問」で食べた「三文魚の刺身」、そいつはおそらく「『日本から来るオガワ』のため、刺身をメニューに入れよう」っていう親戚のおじさんの心遣いだったはずです。ありがたく頂きました。
でも、やはり味が諄かった...。


で、最後の鮭話。

昔、鮭は「寄生虫がいるから、生食は不可」って魚でした。だから「ルイベ」という北海道名物があった。「凍らせた鮭の刺身」ですね。

ルイベを死ぬ(吐く)ほど食ったのは、北海道のサロマ湖畔です。竜宮荘って名前の民宿でした。
それも、今から20年ほど前の話です。
大学時代の徒歩旅行サークル「伸歩会」、秋休み中の合宿にて北海道を訪れました。7日ほどかけて、徒歩旅行をするのです。民宿を泊まり歩きます。その合宿では、弟子屈(てしかが・現「摩周」)駅から、サロマ湖畔まで歩いたのです。

泊まる民宿の予約は、話し合いか何かで分担を決めるのです。最終日の宿は、私が担当となっていました。
「竜宮荘」は名前で決めました。その当時、1泊2食で4000円台だったはずです。その旅行で最も安かったのは、1泊3食(昼のおにぎり付き)で、3500円の宿でした。屈斜路湖畔の宿。おばあちゃんが優しかったコトを覚えています。朝の4時台に出発したような記憶があります。

竜宮荘では、ルイベとホタテが、食いきれないほど出ました。そして、私たちは飲みきれない酒を近場の酒屋で買い込み、やはり飲み食いしきれず、吐いたりしました。ごめんなさい、ホタテと鮭と酒。

んなワケ?で、私は「1泊1万円超の宿」ってのは、未だにあまり受け付けません。何となく「高いなぁ」って思っちゃう。
そして、鮭というと、竜宮荘を思い出します。


この週末、その「徒歩旅行サークル」での友人の一人が(とうとう)結婚するそうで、式と披露宴に呼ばれています。
そんなこんなで、鮭がらみの日記を作成してみた次第です。中国で「ネットから遮断されていた」トキに、この駄文の構成を思いついたのでした。

Geekな同窓会

昨晩、突発的に開催された「高校時代の部活動の同窓会@池袋」に行ってきた。
告知はメーリングリストを用いて行われた。Google様の「グループ」機能を用いている。
https://groups.google.com/
昔はメーリングリストというと、年間で数千円は出費する必要があった。良い時代になったものだ。ま、メーリングリストというシステムも、相当に古い感じですけどね。

「突発的」と表現したのは、17日火曜日の深夜に開催が告知され、19日木曜日の昼にエントリーが締め切られ、20日金曜日の夜に開催されたためである。アラフォーが8名、よく集まったものだ。

SE、研究職、ウェブデザイナー、書籍編集者、広告代理店勤務のヒト、などなど。いろんな話をした(ハズな)のだが、パソコン関係の話題が出ることも多かった。二十数年前、同じ音楽室で時を過ごした人達が、今は妙にパソコンに近い生活(あるいは、パソコンを使って飯の種を稼ぐこと)をしている。そのことを不思議に感じた。

ま、メールにて連絡が行われたから、電算機方面に詳しい面々が集合したとも言えましょうが。

その会では「イケメンシェフの『キノコのホイル焼き』プロレタリア風」というような、なかなかお目にかかれない食べ物もいただいた。
「プロレタリア風」と「なかなかお目にかかれない」という部分は冗談だけど。


過去の関連する日記
涙についての告白(2000年3月)
約20年前に答案を無くした教員(2004年3月)
盛者必衰(2004年5月)
追悼(2009年2月)
小石川高校音楽研究会讃頌(2009年4月)

2月という名の山場

本日、職場は中学校入試初日だった。
精神的に疲労する日が続く。

ま、数百名分の「12歳の人生の分岐点」に立ち会っているのだから、疲労するのも仕方ないと思っている。

脳を使った分、体重が減っただろうと思ったが、まだ75.1kgもあった。1月の頭には77kgを超えていたので、それに比べればマシになったけれど。

なお、基本的に私は夕食後に体重を量っている。液体や固形物を摂取した後だ。
今日は「無駄な液体」を呑んでいなかったから、74kg台になっているかと思っていたのだ。


私は、22歳の時に買ったスーツがまだ着られる。
ただ、当時は一世風靡セピアとか、チャゲ&飛鳥とかが居た時代で、「ダブルのスーツ」が流行っていたのですね。
ここ数年来、また「ダブルの時代」が来るかと思っているのだが、あまり来る気配はない。ダブルのスーツは処分してしまったものもある。

シングルかつ襟の幅が細いスーツって、体が太いと似合わないですよね。
最近のパンツはノータック、あるいはせいぜいタック1つだしなー。


関連する過去の日記
夏、たこ焼きと覆面パトカー(2011年9月)

私は、あんまり出身大学には愛校心がない。
とは、言いながら、こんな日記を書く。

珍しく、1日に2つも母校「東京学芸大学」についての記事を見た。
1つめは tweetbuzz 経由で知った、「キニ速」の記事。

って、リンク貼ろうと思ったら、もう「キニ速」も消えてた。ま、実際個人情報だよね。
私が「キニ速」の記事を見た時点で、「公式サイト(笑)」は無かった。

しかし、j-cast がわざわざ記事を上げてくれている。
せっかく?だから、リンクを貼る。

教育系女子大生「今まで付き合った人数→12人」 「のろけサイト」、「黒歴史になる」と炎上 : J-CASTニュース


私が東京学芸大学を卒業したのは、1993年(平成5年)のコトである。
私がその大学を選んだのは「国公立で小学校教員になれて、理科を中心に勉強する学科」があったからだ。ま、埼玉大・千葉大・横浜国大にも、同様の学科はあったけど。
偏差値(なるべく高いところ)と規模(なるべくデカいところ)を考慮し、学芸大と横国を受けた。最終的には横国を蹴った。自宅から遠いし、規模が小さいから。試験会場にチャラいヤツが多かったというのもある。その当時は「チャラい」なんて形容詞は無かったけど。というか、二次試験会場(慶応大の日吉で行われた)で「黄色い服着た目立つヤツ」がいて、嫌悪感を覚えたのだ。ま、学芸大が第一志望でしたけど、上記の理由で。


あの学校は「東京にある国立大だけど、比較的入りやすくていろんな学科がある」という特殊な環境なのですね。
実際は「教育学部」しかないのだけど、社会科学・自然科学・人文科学、結構いろんな学科がある。体育系もあるなぁ...

私が入った「A類(小学校)理科」は、100名弱の同級生が居ました。男女は半々。それが2クラスに一応分かれてた。
地方出身者が半分、自宅生が半分。現役生が半分、浪人が半分、って感じ。(あの時代は、今よりも大学が入りづらかった。...ハズ)
で、「教員志望者が半分、そうじゃないのが半分」という感じでした。最終的に同級生で教員になっているのは、同じクラス(18組)内のうち、3割程度だと思います。

で、下宿生が半分ですから、リア充(当時は、そんなコトバ無いけど)率が高かったのは確かですね。私は非リアだったけどな。
だから、校内にカポーが多かったのは確かだろう。特に地方出身者だと。
しかし、あのサイト(もう消えたみたいだけど)は、馬鹿丸出しですね。


それだけならば、日記にしようとは思わなかったのだが、もう一つ関連する記事があった。
池袋ウエストゲートパークならぬ池袋西口公園 - 東京DEEP案内

たしか、2ヶ月くらい前から、RSS を取得してました。
あの素晴らしい「東京タウンマトリックス」を作られた方のサイトのようです。
ttm-thumb-300xauto.jpg

あの、綺麗になったのに雑然としている「東京芸術劇場」、以前は確かにだだっ広い公園でした。記事を見るまで忘れてた。
あれは「豊島師範学校跡地」だったのですね。

東京学芸大学は、いくつかの「師範学校」が母体だと云うことは、何となく知ってました。そういえば「豊島」という名前もあったかも。
イニシヘの池袋西口公園は、その周囲に国際興業バスのバス停が多数ありました。小さかった私は、だだっ広い公園の横で緑色のバス「江古田二又行き」を待っていた記憶があります。地下鉄有楽町線も開通し、江古田二又は風前の灯火となっています。「池袋→要町→千川→江古田」なんて、どこでも電車で行けますものね。


ってコトを思い出したので、日記にしました。


関連する記事
理科と私(2001年)
ろぐ(2009年5月)
教員免許更新制の帰趨(2009年9月)
渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私(2010年3月)
教育実習のおもひで(2010年6月)

5年ぶり3回目

この文章を作成しているのは、ノボシビルスクの北である。そして、空の上。

本日から、高校2年生の修学旅行(の引率)が始まった。
表題は「パリへの引率」についてである。やっとフライトは中間地点を超えた。12時間45分は長い。残り6時間を切った。
暇つぶしに作文をしている。この文章がサーバーに上がるのは、ホテルに着き「公式なサイト」をアップし終えてからであろう。

近年は世界中ネット接続が楽になった(ようだ。別に私は世界を股にかけているワケではないので、エラそうには言えない。)
勤務先では、この「パリ修学旅行」が開始された当初の2001年から、パリでの状況を公式ページにアップするということを続けている。ま、ブッチャケ言うと、私はそういう「オプション」の仕事ってのは「やらなくても良いじゃん?」って思っているのである。まずは、旅程の安全確保が第一であり、教員は睡眠時間を削ってまでも「公式サイトの充実」などを図らなくてもよいだろう、ってスタンスである。
というのも、もっとも初期は「モデム(!)」を持参し、公衆回線を使用してニフティ(か何か)の「アクセスポイント(死語)」に接続し、本当に睡眠時間を削ったヒトが居たからだ。私は画像が添付されたメールを受け取る側だったけどな。接続が悪く、画像を送るのに何十分単位の時間が必要だった(と、苦労した人は言っていた)。
受け取った画像は杉並区の学校でhtmlとして成形されたのち、同じ校内のWebサーバーに上げられていた。その時点で、やっとパリでの情報が保護者等に伝わったわけだ。

職場でパソコン関係をまとめていらっしゃる先輩とは、そのあたりのバランス感覚、つまり「旅行を引率した教員が、そこまで苦労すべきか否か」について議論をしたことがあったが、それは平行線のまま、結論を得られずに終わった。(議論はメールでのやり取りだった。そいつを一太郎で成形したものは、未だに職場のパソコン内に保存してある。)
結局、毎年毎年、この「旅先からの画像の送信」は行われている。教員が文書や画像を日本へ送ることもあれば、旅行の添乗員さんが日本の職場にメールで送ってくれた年もあったようだ。
私は約10年間、その過程を見て見ぬふりしてきた。

のであるが、今回はそいつに加担するコトとなってしまったのである。
CMS(こんてんつ・まねーじめんと・しすてむ)環境が発達したということもあり、前述のネット環境が充実したということもある。普通に言うと「旅先のホテルからネット接続し、ブログとしてアップすることが簡単になった」からである。

職場では、公式にtwitterのアカウントを持っており、情報を発信している。

ま、実は最初、私はtwitter導入に否定的だった。「別に、(内容が古くなりすぎてるヤツもある)公式サイトの情報を充実させれば良くね?」って。その意見は職員会議か何かでも披露したように記憶している。ま、結局のところ、アカウントは作られ、情報発信は始まった。ま、未だに「私企業(twitterやfacebook)のサーバーを用いて、公式な情報を発信する」ってコとについては、完全に納得しているわけじゃないのだけど。とはいえ、私の勤務先も「単なる私企業」ですけどね。
しかししかし、youtube上に「公式チャンネル」を作ろうと進言した(そして、作って動画をアップした)のも私ではあったりする。動画の配信は技術もサーバーの能力も必要だから、自前でやるよりは、無料でようつべのサーバーを借りたほうが早いと判断したためだ。

で、およそ1年前、巨大地震が東日本を襲った。
実は、相当にtwitterは役に立ったらしい。公式tweetを作成しているのは、職場の先輩お一人である。彼も「まんべくん」のように、殆ど「全権」を担っていると言えるのだろう。今のところ、問題が生じたことは無い。ま、その辺は私学の「ユルさ」と「先輩お一人」の素晴らしいバランス感覚によるものなのだろう。ま、良いことだ。


結局、何を記そうかとしていたかというと、特に目的はないのだ。
機内で「フライト状況」を見ていると、ヘッドホンからは「日本のヒットソング」が流れてくる。もう、2周めかな?
きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」という歌を最初から最後まで聞いたのは初めてだ。

由紀さおりの『1969』ってアルバムが聞けたので、2周ほど、寝たり起きたりしながら聞いた。一緒に演奏しているっぽい「ピンク・マルティーニ」って何なんだろう? マティーニか、お酒飲みたいなぁ...

また、たむらぱんの新しいアルバムもあったので、やはり2周ほど聞いてみた。過去に「ぶたべすと」とかいうCDをTSUTAYAで借りたことがある。(でパソコンに取り込み、私的に聞いている、時々。)たむらぱんってヒトの歌を最初に聞いたのはラジオであった。『機内エンターテインメントのご案内』で初めて知ったが、youtubeからブレイクしたヒトだとか? そういえば、ラジオでそんなことを言っていたような...
あとで、チェックしてみよ。

現在、飛行機は西シベリア低地上空らしい。このパリ行きのフライトでは、一番北極に近いところを飛んでいるのかな?
Times to Paris は5時間を切った。
たむらぱんから次の曲に移った酉の刻、お八つの蒸しパンが届いた。
機体がさっきから揺れているので、とりあえず終わろ。

2012年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      

ここにあるのは、過去に書かれた日記のうちで駄文2カテゴリに属しているものです。

前のカテゴリは駄文です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。

    Follow me